頭と心の優先順位
家族が寝静まったあと、いそいそと家を抜け出し、近所の一風堂でひとりラーメンをすすった帰りのことだ(年に1-2回、無性に食べたくなってこんなことをしている)。
−なんでかな〜、きれいになりたいとか体型維持したいとか、思ってないわけじゃないんだけどな〜。
なんせ、普通に夕ご飯を食べたあとの所業である。数年前の自分だったら、そもそも食べなかった可能性のほうが高いし、欲望に負けて食べたとしても多少なりとも罪悪感を感じていた気がする。
−それがいまは罪悪感とか、ないもんな。
当時といまとでは優先順位が変わっている自覚はある。きれいになりたいとか体型キープしたいという希望がないわけではないが、上位のほうにランクインしていないのだろう。
−じゃあ、わたしのいまの優先順位ってなんだろう?
「自分の心身と魂の健康としあわせ」が、真っ先に脳裏に浮かぶ。
−うんうん、これはいつも思ってるもんね。
信号待ちに差し掛かり、なんとなく違和感を感じて自分の内を見つめた。「自分の心身と魂の健康としあわせ」って、確かにいつもいちばんに思ってるけど......あれ、これってなんとなく、頭で考えたことな気がする。
そのまま意識をすーっと心に寄せる。頭で考えた優先順位ではなく、いまの自分の心の優先順位はどこにあるのか。
普段の自分の生活をできる限り自意識を外して観察すれば、案外たやすくそれは見えてくる。ひとは知らず知らずのうちに、心の優先順位にしたがって生きているものなのだ。理屈は抜きに。
(例えば、「恋人が欲しい」って、意識では思っているし、口にもしているけれど、普段の生活を覗いてみれば、心ではそこまで思っていないのがわかったりもする。それより「自分のペースで好きに暮らしたい」優先順位のほうが高かったりね)
−あ、えー、まじか。
信号が青に変わり、あらあら、と思いながら横断歩道を渡る。自分の内を見つめて、生活を観察して、あらあら、分かっちゃった。いまのわたし、子育てが心の最優先事項なのだ。
ちょっと呆れた。
−えー、むしろ、その状態を避けようと思ってきたんだけど。
その状態を避けたくて、「自分の心身と魂の健康としあわせ」がいちばん大事だと、思ってきたのに。
しかし、である。
しかし、よく考えてみれば、それ(=自分の心身と魂の健康としあわせ)を最優優先事項にしているのだって、つまりは「だってそれをいちばんにしていないと、余裕を持って子どもに接することができないから」と思っているのである。
−なんだ...心は子育てがいちばん大事、って思ってるんだ。
とある講座を受けていて、子育てにおいて優先すべきは「まず自分、次にパートナー、その次が子ども、そして仕事」と示されたことがある。わかるー、と思っていたけれど、それだって「だってその順番じゃないと、子どもに影響がありそうだから」と思っていたことに時間差で気づく。
−うわー、わたし、めっちゃ「お母さん」してるじゃん。
「子育てがいちばん」だなんて、嫌だった。そんな女になりたくないと思っていた。
でもそれは、頭の優先順位だったのだ。認めたくないけれど。
−まぁでも、夜中のラーメン欲を満たすのも、自分がしたいことを我慢して、そのイライラの矛先が子どもに向いたら嫌だって思ってるんだよね〜。
ややこじつけながら、家のドアをそっと開く。いつかまた、きれいになりたいという気持ちの優先順位が、上がる日がくるのかもしれない。そのときまで、いまはこの日々を味わって楽しむのだ。