書き残す
じつは私、糸井重里さんが取材するウェブサイト「ほぼ日刊イトイ新聞」のファンである。
特に近年、政治やマスメディアの在り方に対して私も私なりの思いがありながら、でも、人間というものが創る社会の仕組みとしては致し方ないことなのかなぁ…ふぅーっ……などと考え始めたりもしている。
そんな中、糸井さんちの新聞は「新聞」というお名前なのに私達の暮らしのほんの少しだけ前を歩きながら、優しく読者に寄り添ってくれている、そんな漢字のメディアである。
その「ほぼ日」の中でとても気に入っているのが「ほぼ日學校」というサイト。
普段、聞くことは、まぁー出来ないであろう様々なジャンルの貴重なお話を贅沢にも家で、いやいや、どこに居ながらにしても聞くことが出来る。
「ヒットと人を考える島」とか「本を読む人と読みなれない人の島」とか「その研究、ちょっと教えてくださいの島」とか、カテゴリーはとにかく多様。話し手も、作家だったりドクターだったり、映画監督だったり落語家だったり、とにかくユニーク。しかも、それぞれに学ぶこと、自分なりに考えること、感動すること笑うことが沢山ある。
「ことばで表現することの島」の吉本ばなな氏の講座は目からウロコで、吉本さんのお話から私自身が自分の母を深く知ることにつながった。
コロナ禍で時間が出来た吉本さんが事務所の整理をしたことで見つけたのが、30年近くも前にスタッフ達が使用していた「電話連絡ノート」。
初めて目にしたそのノートの中にはスタッフ達の「何でもない一日」が書き残されていた。
何でもない、どうでもいい一日だったのに、あの日一日を愛情をもって過ごしていたんだという記憶が残るメモ。それらを書いていたスタッフの中で今も付き合いがあるのは5人ほどで頻繁に会うのはもっと少ないという。
結果的に吉本氏は、今、人間関係や例えば育児で悩んでいても「そうか、誰もいなくなっちゃうんだ」ということに気づき、残った人達はもちろん素晴らしいけど「何かを書いておくこと」が大事なのだと、何でもない一日を書く意味を話してくださった。大変、作家らしい視点、論点だと思った。
コロナ禍で私も戸惑うほどの時間が出来、家の中の整理をして見つけたのが、16年前、当時上京して同居を始めた頃の母が書いていた毎日のメモだった。
日記でもなければ、吉本さんのように人に見せる為の連絡ノートでもない。病院の予約が書かれていたり、スーパーで買ったものが書かれていたり、「クリーニング屋さんを待っていたのに私のミスで15分間ルスにしました。ごめんなさい」と書かれていたり。
小さな枠にほんの2,3行のただのメモ。
だけど、その文字の中に、私は初めて自分の母をキチンと見た気がした。その当時の私は、そんな母の小さな反省や喜びや不安や怒りを何ひとつ知らずに暮らしていた。
1月28日、美佳今日は休みです。夕方より耳いたい。いたい。夜は、美佳、佳味、信味、私、話し合い。悲しいね。
1月30日、68才誕生日旅行。箱根に行かせていただきました。有難う。
2月3日、三名様お客。イロリで11時頃まで。
2月6日、バービー、チョコ、モナカ天野動物病院。ガンバレ。
2月7日、東京へ来て二度目の雪。
どんな小説を読むより、どんな映画を見るより心に響いた。
母の一日一日が、こんなに切なく有難いなんて。
MFC197号より 神野美伽