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誰にも言えない

大学最後の1年間、密かに片思いを続けた人がいた。
遠くから見つめることしかできない、中学生の初恋みたいに
密かに憧れる人だった。

きっとモテるんだろうなあ、なんて思って
傷つくのが怖いなあ、なんて思って
連絡先も知らないし、パートナーがいるのかどうかもわからない。
年上で、余裕のあるひとだった。
少なくとも私から見た彼は。

社会人になって、彼と会わなくなって
でも、それからも彼は心のどこかにずっといた。

そんな気持ちの中、新しい出会いを求めてしまった私は、
弱かったのかもしれない。
令和の時代、AIの力を借りればすぐに
パートナーは見つかった。
すごく優しくて、仕事にも真面目で、
無口だけど、無口なりに行動で愛情を示してくれる。
そんな彼をやっと好きになれたと思っていた、
そんな時に神様は試練を与えてくるようだ。

1年間片思いをした彼が、
近くに住んでいることは風の噂で聞いていた。
仕事の帰り、ジムに寄って化粧を落とし、ボロボロの身なりで
一生懸命家に向かっていた途中のことだった。

1年間、追いかけ続けたからその歩き方は脳がしっかりと覚えていた。
数軒の居酒屋から漏れる光を背中に、暗くなった道を
歩いてくる彼に気が付くまでには、多分1秒もかからなかった。

すれ違う時に、
目を逸らした自分を悔いていないと言うと嘘になる。

さらに言うと、
すれ違った後、後ろを振り返ると
彼もこっちを見ていた。
多分気がついていた。

話しかけなかったことを、
一生懸命すっぴんだったせいにしているが
自分の本心は何なのだろうか。

振り返った後、今自分を大事にしてくれている
新しい彼のことが脳裏をよぎったことにだけ
少し安心した。

そして、1年間片思いをした相手のことを
忘れるべきだと思いながら
今、この文章を一生懸命書いている自分に
罪悪感がないかと言われると
そこまでの鈍感さは持ち合わせていないようだ。

あの日から、すれ違ったあの場所を
通る前には一度鏡を見て、口紅を塗り直していることは
誰にも言えない。


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