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ヌーディストの憩いの場。仏・パリ初のヌードレストランが閉店へ。〜誰もが生きやすい社会とは
世界には、多種多様なレストランがある。そのなかでも個人的に興味が引かれるものの一つに、ヌードレストランがある。
ヌードレストラン──つまり、裸で食事をするお店だ。
そう聞くと、“裸"という部分に興味を持つ人もいれば、人前で裸体を晒すことに羞恥心を感じる人もいるだろう。あるいは、裸体に対して“性”を感じて嫌悪感を滲ませる人もいるかもしれない。
私個人としては、ビジネスとしてかなり面白いコンセプトだと思っている。おそらく、同じように感じている人もいるだろう。だが、残念なことに、ヌードレストランは、経営を維持していくことはなかなかに難しいようだ。
フランス・パリにあるヌードレストラン『オー・ナチュレル』が、2019年2月16日にわずか1年と少しの営業から幕を下ろすことが決まった。
ヌードレストランはニッチすぎたのか?
どんな事業も始めるときには、必ず誰に向けてのものなのか、ターゲットを設定する。
ヌードレストランなのだから、オー・ナチュレルのターゲットは『裸で外での食事を楽しみたい人』だ。だが、そもそも『裸で』『外での食事を』楽しみたい人がどれだけいるのか? というところに疑問を感じる。
世間的に見ても、人前で裸を晒すことに抵抗感がある人が大半だ。ヌードレストランに興味はあるといっても、私も見ず知らずの人がいる前で裸を見せることには、とてつもない羞恥心を感じる。こうした感覚を持つ人たちが多い場所では、やはりニッチといわざるを得ない。
ヌーディストが多い街に出店すれば結果は違ったかも?
世の中には、ヌーディストと呼ばれる人たちがいる。彼らにとって、衣服はしがらみだ。だから、服を着ずに裸で過ごすことが、最も自分らしい自然なことだと考えている。彼らは、下着一枚すらも身に着けないので、男性も女性も真っ裸のままで自分の時間を過ごしたり、他者と交流を図ったりしている。
そんな彼らが多く住まう地域であれば、客も多く訪れたかもしれない。あるいは、5組限定などのように来店者数をコントロールしてみてもよかったかもしれない。すると話題性から、予約○年待ちなどのような事態が起こったことも可能性として考えられる。
オー・ナチュレルの閉店理由は、財務上の問題で詳しい理由はわからない。もしも、来店客が想定より集まらずに赤字経営に追い込まれてしまったのだとしたら、それは残念だ。
ヌーディストはいつも肩身の狭い思いをしている
随分昔の話だが、友人にヌーディスト的な生活をしている女性がいた。
帰宅したら玄関で靴を脱ぐ。(日本では)至って当たり前の行動だが、彼女はそこにもうワンアクション入る。その流れで、着ていた服を脱ぐのだ。そして、パンツ一枚になる。
彼女曰く「服を脱いだときのあの開放感が、最高に気持ちが良い」らしい。
冬場、底冷えのきつい京都は、暖房をガンガンにかけても、床下からの冷気で足が痛くなることもある。そんな中でもパンツ一丁なのだ。その格好で、鍋焼きうどんなどの熱い汁物を食べようとするから、胸にしょっちゅう小さな赤い斑点を作っていた。
彼女とは今ではもう疎遠になってしまったが、私は今でも彼女が大好きだ。彼女のヌーディスト的なライフスタイルも、私の新たな感性の扉を開いてくれたし、彼女自身の独特な感性はとても刺激になった。(当時デザイン系の学校に通っていたせいか、俗にいう一風変わった友人が多かった)
私は、本格的なヌーディストの方々を知らないので、これは私の憶測でしかないが、ヌーディストの人たちは心からリラックスして過ごせる外の空間がほとんどないように思える。
だからこそヌードレストランの存在は、彼らにとってとても貴重な存在なはずだ。
ヌーディストの彼らは、一歩自宅を出ればしがらみで息苦しい思いをする。外に出るのなら衣服を着用せざるを得ないからだ。
服を着ることは、ヌーディストでない人からすればごく当たり前のことだ。服の仕立て具合やデザインによって、首元や胸が絞まる感じがして息苦しいということはあるが、ヌーディストの彼らが感じる息苦しさとは意味合いが違う。
彼らが抱えるのは「自分らしくいられない(過ごせない)」という葛藤だから。
誰もが生きやすい社会とは
世の中には、性的趣向も含めていろんな趣味趣向の人がいる。他人に危害を加えたり、誰かを貶めたりするものでなければ、それは個人の自由だ。むしろ、そうした自由がその人自身を作っていると思う。
たとえば、私。恋愛対象の多くは男性だけれども、魅力的な女性がいれば、それも恋愛対象として見ることができる。下世話なエロ話は好きではないが、裸体は好きだし、芸術的なエロや文学的なエロは大好物だ。
こうした趣味趣向は、私がついつい無意識でやらかしてしまう人間観察や分析に大いに役立ってくれているし、人間の心理や内面を考えるうえで必要不可欠な能力にもなっている。
昔の知人にゲイの男性がいたが、私にとってそれは彼の一部分でしかなかったから、特に異質だとも感じたことはなかった。
だが、当時はまだカミングアウトなんて気軽にできるような風潮ではなく(今もまだそうかもしれないが)、彼はそれを私にカムアウトするのに随分悩んだようだった。
(偶然、私が過去に女性と交際した話をキッカケに、カムアウトしてくれた)
マイノリティな趣味趣向を持つ人たちにとって、この世の中は生きづらさや葛藤だらけだ。
けれど、マジョリティであることは絶対ではないし、マジョリティの中にもマイノリティな趣味趣向を持つ人はいる。ただそれが、性的趣向という面に特化すると、極端に少なくなるというだけのことだ。
その事実が、性的趣向のマイノリティの彼らを苦しめているという悪循環に陥らせる。彼らが、世の中にとって必要か否かといった議論など無意味だ。
ただ、受け容れるだけでいいのだが、それもまた価値観という目に見えない正義の前では、悪だとされることも少なくない。
今回、パリで初めてのヌードレストランは閉店になることが決まったが、他のヌードレストランにはどうか、ヌーディストの彼らの憩いの場として存在し続けてほしいと思う。
画像出典元:O'naturel
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