見出し画像

人を信じることとアテにすることを分けて考えれば、相手のなかにあるものがわかるんじゃないだろうか。

「人を信じる」ことを分解すると、それまで積み重ねた信用+今までの信頼が裏切られていないことへの将来への期待感(信頼)によって成り立つ。
「人をアテにすること」は、その人を頼ること。誰かが誰かを頼るとき、その人は相手に信頼(期待)を寄せたうえで助力を乞う。

助力を求める方法は、言動として意思を表に発する場合もあれば、心のうちで相手に願う場合もある。

他人をアテにしない人というのは、その人に対して信頼を寄せていないか、あるいは信用しているけれど、いまは助力を必要としていないときだ。

助力を必要としていない人にいくらアテにしてくれと言ったところで、相手はそれを望んでいないのだから執拗な要請は有難迷惑でしかない。けれど、アテにされることで他人からの信頼度を図っている人にとってみれば、アテにされない自分に価値はないといわれているようで苦しいのだろう。

アテにされたがっている人は、相手に信頼してほしい、もっと自分を求めてほしいと考えている。一方でアテにしない人は、その助力が必要になったときに声をかけたい。恋愛に例えたら、アテにされたがっている人は相手に片思いしているような状態だ。それは、まるで相手の状況や感情を無視して自分を受け入れてほしいとねだる、粘着質な異性のようだ。

甘え上手な人は、相手が自分に甘えてほしい(頼ってほしい)と思っているそのタイミングに乗じることができる。
反対に甘え下手な人は、相手が求めていないときで、なおかつ自分が甘えたいときに自分のタイミングで相手に頼る。

甘え上手な人が周りから厚意(好意を含む)を寄せてもらいやすいのは、相手のペースを乱さない自立性にあるといってもいいのかもしれない。
反対に甘え下手な人が周りから敬遠されてしまうのは、本人は配慮しているつもりでも相手のペースを崩して、相手を自分の意図に沿うようコントロールしようとする下心が伝わるからかもしれない。
その下心に自覚的な人もいるだろうが、多くは無自覚なのではないだろうか。

自立していれば、相手には相手のペースがあると無自覚で認識できる。
アテにされたがる人は、一種の甘え下手だと考えてもいいのかもしれない。

よろしければサポートお願いします! いただいたサポートは活動費や書籍代に充てさせていただき、得た知見などは改めてnoteでシェアします♬