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フィンランド母子研究留学 助成金応募編

留学するために必要なこと。それは情報である。身近に経験者がいればいるほどよいと感じる。一口に留学といっても、方法は様々だ。語学留学、大学の正規生、交換留学、修士課程、博士課程等がネット上に情報としては多い。

博士号を取得していれば、博士研究員として働くことができる。博士研究員として海外の研究室で働く方法は大まかに
①受け入れ先に雇われる
②奨学金を得る
③私費で行く 
④日本の職場から給料を受けながら行く
に分けられる。受け入れ先に雇用されれば、大学の福利厚生を受けられ、社会的な安定を得られやすいように思う。その代わり、受け入れ先研究室が博士研究員に給与を払えるだけの研究費を持っており、対象者には給与を支払うに値する能力及び業績が求められる。一方、奨学金を得ていれば、希望するラボは受け入れに積極的である。また、サバティカル制度など、現在の所属先から給料をもらいながらという形もあるらしい。

当時の私はこのような知識も行動力もなく、財団から助成金を受けての留学しか考えられなかった。Fellowshipの応募資格には年齢制限や、博士号取得してからの年数制限があるものが多く、応募できなかったものや、ギリギリラストチャンスであるものもあった。若手研究者や女性研究者を支援するものも多く、留学に行きたいのならば、博士課程在籍中から情報収集をするべきだったと感じた。最終的に、留学を決意してから1年半で日本学術振興会及び民間財団の8種の助成金に応募した。大学教員および医療系専門職として教育臨床業務をしながら、母として家事育児をし、進行中の研究を回しつつこれらの申請書を書くのはかなり厳しかった。

買わない宝くじは当たらない、首位打者でも3割バッター、数打てば当たる等々呟きながら、取り憑かれたように申請書を書いた。書くことで、なぜ留学したいのか、なぜこの研究がしたいのかが明確になり、回数を重ねるごとに申請書が洗練されていったと感じる。特に留学を経験された先生に添削をしていただいたことで、申請書の方向性を大きく変えることができた。

しかし、現実は甘くなかった。学振系はやはり競争が厳しく、評価のランクも低かった。不採択の知らせが2つ同時に来たときは、帰りの車内で号泣した。娘の前で泣くわけに行かない。今いま泣いて笑顔でお迎えに行かなければ。ある民間財団は補欠に引っかかった。期待したが、補欠止まりだった。私には無謀な挑戦だったのかと嘆いた。

不採択の知らせを9回受け取り、今後の方向性を考えあぐねていた12月某日、ある民間財団よりメールが来た。半ばあきらめ気味にメールを開くと、「内定」の文字が飛び込んできた。にわかには意味が理解できなかった。内定? 私が? 行けるの? 留学に? この日を境に夢は現実になった。留学に行けるという事実以上に、この世界に、私の研究計画を評価してくださった方がいることに、胸がいっぱいになった。

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