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家事ヤロウの育て方教えます


「おーい、今晩は何にする~?」
風邪をこじらせ寝込んでいる私に夫から声がかかる。
現在69歳の夫が家事をするようになって4年、料理をするようになって1年が過ぎた。
こんな日が来るなんて夢にも思わなかった。
泣けてくる。いや泣きはしないが心底よくやったと褒めてやりたい。
誰よりも、ここまで夫を育てた私を褒めてやりたい。
 
2018年同居していた義父が亡くなり娘たちも独立。
家族の形は大きく変わった。
夫は定年後の再雇用で週3日勤務となっていた。
そこで私たちは思い切って住み慣れた家を手放し、憧れていた湘南の小さなマンションに移り住んだ。
3階建ての家からワンフロアとなり私たちの暮らし方も変わった。
それまで夫は食後の皿洗いはおろか、暮れの大掃除でさえ逃げ回るような男だった。
しかし転居してほどなく、お皿を洗っていたら夫が突然「手伝おうか」と言ったのだ。
ワンフロアで否応なしに私の行動が目に入り、きっと居心地が悪くなったのだろう。
私は内心(やっとこの日が来たのね)と喝采をあげた。
「手伝ってよ~」じゃ夫の主体ではない。
夫自ら手伝いたいから手伝う、そのスタンスが大事なのだ。
その日から彼は少しずつ「家事ヤロウ」への階段を登っていった。

洗濯機の回し方、干し方、たたみ方、掃除のしかた、ゴミの出し方、風呂掃除、トイレ掃除。
今の若い男性が当たり前にやることも、ガチガチの昭和世代である夫はやってこなかった。
私自身も尽くす女の典型のような母を見て育ったせいか、家事は妻がするものと諦めていたところがある。
夫とて何か家事をするきっかけが欲しかったのかもしれない。退職後再就職したものの週3勤務で暇を持て余していたのだ。
私の亡父はまったく家事ができない人で、お湯一つわかしたことが無かった。
母が亡くなって慣れない家事を始めたものの魚を黒焦げにして、情けなくなったのか涙声で私に電話をかけてきたことがあった。
母を手伝っていればよかったと後悔の涙でもあったろう。
そんなせつない想いを夫にしてほしくない。
やはり男も家事はできた方がいいのだ。私は夫を育てることにした。
 
しかし思わぬ誤算があった。
夫は私よりよほどデキル男だったのだ。
元々几帳面な夫は洗濯物の干し方、たたみ方、掃除まで日を追うごとに完璧になった。
元々ずぼらな私は適当にこなしていた家事のあれこれを厳しくチェックされた。
痛いところを突かれ「ああめんどくさい。テキトーでいいじゃん」とさじを投げる。
私だけではないと思うが、家事はほどほどの加減でいいと思っている。
時給も発生しないのに、やり出したらキリがないのだ。
テキトーなところで見切りをつけないとやっていられない。
しかしそんなユルい家事の隙間を、そうまるで重箱のスミをつつくように夫は指摘する。
冷蔵庫内の食品のしまい方、キッチン収納、タオルの収納の仕方などなど、今度は私が夫から指導を受けている。正直立つ瀬が無いが致し方ない。
 
それでも料理だけは夫の未知の領域だった。
ある日、私が遅番勤務から帰ると夫はいつものようにソファでくつろいでいた。
綺麗にたたんだ洗濯物、お風呂も沸いている。
ありがたい。しかし、夕食はイチからつくらねばならない。しんどい。
ようやく作った夕食を食べながら切り出した。
「あの……私が遅番の時だけごはん作ってくれないかな」
注意深く言ってみる。機嫌を損ねては元も子もないからだ。
「料理ねえ……。やってみるか」
耳を疑った。年末の大掃除でさえ逃げ回っていたあの夫が!
口には出してみるものだ。
家事をやってみたら、妻よりも得意だったことで自信がついたのだろうか。
常に「助かるわ~」「ありがとう!」と感謝の言葉をこれでもかと機関銃のように連射していて本当によかった。
夫は明るい表情で「初めはハンバーグだ」とのたまった。
ハンバーグねえ。玉ねぎのみじん切りはややハードルが高いがまあいいだろう。
ここは本人の自主性にまかせよう。
できるだけ気持ちをそがないように、レシピも自分で探してもらい買い物から始めた。
ここでもミスター几帳面はレシピを紙に書き写し、書いて覚えるという。
夫は玉ねぎを号泣しながらみじん切りにし、なんとかハンバーグを完成させた。
美味しかった。その時の嬉しそうな顔ったらなかった。
初めて作ったとは思えない出来映えに気をよくし、夫はFacebookに投稿した。
顔が広い彼は70余の「いいね」と賞賛の言葉を数多く貰ってさらに有頂天になった。
私がハンバーグを作って投稿したところで、それがどうしたという話だ。
ふだん運動ばかりでおよそ料理をしそうにない男が作ったハンバーグだからこそ、こんなに評価されるのだ。
それからも夫は私の監修のもと、自分の食べたいもの、酢豚、ラザニア、ガパオライス、スコッチエッグなどを作ってはFacebookにアップし続けた。
時には夫婦で参加しているポットラックパーティーに自らの料理を持参した。
最近のヒット作は「おはぎ」である。
土井善晴先生があの優しい口調で「どなたはんも意外と簡単にできるもんです」とテレビで教えてくれるのを繰り返し見て覚えたのだ。
決して私は作ろうと思わないが、元々夫はおはぎが大好物だった。
その絶妙な甘さと少し不格好なおはぎは、しみじみと美味しく母のそれを思い出させた。
 
夫の休日、私は側で副菜を作ったりお皿を選んだりする。
たまの豪華なディナーよりも、二人で作ったささやかな夕餉を笑いながら頂く時に幸せを感じる。私はつくづく金のかからない女だ。
 
なぜ素直に家事をするようになったのか、あらためて夫に聞いてみた。
夫曰く初めは(体の丈夫なオレの方がきっとお前より長生きするだろう。残された時のために家事を覚えよう)と思ったそうだ。
だが家事を覚えるにつれ、妻が予想以上に家事が苦手だったことがわかった。
(こんなに苦手なのにコイツはこれまでひとりで頑張ってきたのか)と逆に感謝の念が湧いた。
「だからこれからはオレが頑張ろうと思ったんだ」と夫は少し照れた。
 
なんていいヤツなんだ。
夫よ、ありがとう!!
って感心している場合ではない。
あらためて私は「デキナイ妻」の烙印を押されたのだ。
夫を育てたつもりだったが、まさかこんな日が来るなんて天国の母も泣き笑いしてるに違いない。
 
我が家の家事ヤロウは次に何を作ってくれるだろう。
夫を育てたつもりが、自分の存在価値を危うくする結果となったがまあいい。
この先も得意な方が得意なことをやり、支え合っていけばいいのだ。
ひとつ困ったことは、家事ヤロウのおかげで私の体重は右肩上がりだ。
家事が数段楽になった上に、数々の料理は総じてハイカロリーだったのだ。
次は「美味しく食べて痩せる料理」をお願いするしかない。

≪終わり≫
 
 
 


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