土佐藩から出た起業家 岩崎弥太郎
高知県といえば坂本龍馬、中岡慎太郎が有名ですが、三菱財閥の創設者でもある岩崎弥太郎も実は、高知県出身なのをご存じですか?
2010年に放送された大河ドラマ「龍馬伝」でも描かれていました。今回は岩崎弥太郎について解説していきます。
岩崎家9代目 岩崎弥太郎
1835年、高知県現在の安芸市に生まれます。高知市内から車で西へ1時間ほど、阪神タイガースのキャンプ地として有名な安芸市に岩崎弥太郎の生家があります。
生家は弥太郎の曽祖父が1795年頃に手に入れたと伝わります。わらぶき屋根の平屋になっていて、風呂と便所は別棟に設置されていました。
今も岩崎家所有で保管、管理が行き届いています。庭には石庭があります。
この石の並びは日本列島を表したもので、少年の頃に弥太郎が組んだものでよく眺めていたといわれています。
江戸の私塾「見山塾」へ入塾
幼い頃から文才に恵まれていた弥太郎は、21歳になると江戸へ出て吉田松陰や高杉晋作らと同じ私塾へ入塾します。ここでも弥太郎は優秀な成績を収めるのですが、両親は貧しい生活を送っていました。
しかし、両親は先祖から受け継いできた山林を売り払って弥太郎のためにお金を出したと伝わっています。
父の負傷により帰国
1856年、弥太郎の父が酒の席でささいなことからケンカになり重症を負うほどの事件を起こします。江戸で学問に励んでいた弥太郎は、父の勉強を切り上げて土佐へ戻ることになったのです。
土佐に帰国後は吉田東洋が開いた「少林塾」へ入塾します。こちらでは明治政府で活躍することになる板垣退助や土佐藩士である後藤象二郎と出会うのです。
白壁に三菱のマーク
生家の裏側には明治中期に建てられたと伝わる立派な二階建ての蔵があります。
向かって右側にある赤い車は当時の消防車です。
側面に三菱のマークがあります。分かりますか?岩崎家の家紋「三階菱紋」と土佐藩主山内家の家紋「三葉柏紋」を組み合わせて三菱のマークが作られたそうです。
岩崎家は甲斐の武田家と関係がある?
岩崎家は甲斐、武田家の末裔だとの話を聞いたことがあります。武田家が数家に分かれ暮らしていたようなのです。
実際に高知市より西の地域では遺跡から「武田菱」の紋が入った瓦が出土しています。
岩崎家が四国へ入った時期は不明なのですが、岩崎家の家紋である「三階菱紋」は「武田菱」に由来するものなのかもしれませんね。
岩崎弥太郎 記念碑
こちらの石碑は、昭和38年に三菱グループ各社の協賛によって建てられました。岩崎弥太郎は三菱グループの基礎を築いた、つまり三菱発祥の地であるということなのです。
大河ドラマ「龍馬伝」が放送されていた頃には多くの人でにぎわっていましたが、現在は訪れる人も落ち着いているのでゆっくり見学できました。
岩崎弥太郎 生家
【住所】
高知県安芸市井ノ口甲1696
【営業時間】
8時~17時
【休館日】
無休
【入場料】
見学無料
【アクセス】
公共交通機関
土佐くろしお鉄道「安芸駅」よりタクシーで10分
車
高知道「南国IC」より国道55号経由約50分