「怠惰」なことは悪いこと? #35
お疲れ様!
今日から7月、早いものだね。
今年もあと半年、悔いのないように毎日過ごしたい。
今日の誕生花は、
「マツバギク」
ピンク、紫、白など多様な花色と肉厚な葉が特徴の多肉植物。
地面を這うように多肉質の細長い葉を伸ばす。暑さ寒さや乾燥にも強い。
開花時期は4~10月頃までで、種類によって違いがある。
「マツバギク」の名前の由来
マツバギクの和名は「松葉菊(まつばぎく)」
または「仙人掌菊(さぼてんぎく)」。
「松葉菊」は、マツバギクの葉が松の葉に、花が菊の花に似ていることから付けられた。
「仙人掌菊」は、多肉質な厚い葉を持ち、サボテンのように乾燥に強いことが由来。
マツバギクの英名は「fig marigold(フィグマリーゴールド)」「trailing ice plant(トレイリングアイスプラント) 」。
「fig marigold」は、マリーゴールドの花に似ていることから付けられたと言われている。
「trailing ice plant」の「trailing」には植物が地面を這っているという意味があり、マツバギクが地面を這うように成長することに関連しているのではないかといわれている。
「マツバギク」の花言葉と由来
「マツバギク」の花言葉は、
「怠惰」
「怠け者」
「勲功」
「忍耐」
など。
「マツバギク」の花言葉の由来
「怠惰」
乾燥した環境でも手入れがほとんど不要なことから
また、マツバギクは日光が当たらないと花を開かないという独特な特性があることから「怠惰」という花言葉が付けられた。
「怠け者」
晴れた日中だけに花を咲かせ、夜や曇りの日には花を閉じるマツバギクの特性が、晴れの日しか花を開かない「怠け者」のように見えることから。
「勲功」
マツバギクの光沢のある花びらや花の形が勲章を連想させることから。
日本の勲章には菊の花がデザインされたものがあり、マツバギクの花の形が菊の姿に似ていることが「勲功」の由来でもあるそう。
「忍耐」
乾燥や暑さに強い植物であることから付けられた。マツバギクは、南アフリカが原産で、乾いた土地や酷暑のなかでも繁殖できる強さを持っていることから。
マツバギクの花言葉は、一見、悪いことかと思いきや、逆に良い言葉として捉えることができるんだね。
「怠惰」
今日は、「マツバギク」の花言葉の中から、
「怠惰」
について考えてみることにする。
「怠惰」とは何?
「怠ける」人のことを「怠け者」と言うが、今日はそれも一緒に考えたい。
怠惰は脳の本質か
「ジムに行くのに葛藤があるとしたら、それは現実にあなたの脳の内側で葛藤が起きているからだ」というカナダ・ブリティッシュコロンビア大学からの研究報告がある。
マシュー・ボイスゴンティエ博士とその研究チームは、脳が彼らが「エクササイズパラドックス」と呼ぶ現象の答えだという。これは、社会が運動を奨励するほどに人々は逆に運動をしなくなっていくようにみえるパラドックスであるという。
「我々の結果は、不活動から逃げる時にヒトはより多くのコストをかけるということである。そのためには脳のリソースをよりたくさん使うことになるようだ。この結果が示唆しているのは、我々の脳が座位行動により魅せられるようだ、ということである」とボワゴンティエ博士は語っている。
私たちが怠惰を避けて活動的になろうとすると、“余分に” 脳資源が必要になると示されたというわけだ。
仕事における「怠惰」とはこのことだ
これまで、日本人は、仕事中毒であることを求められてきた。
「勤勉」である、と言われてきたが、実際に中身はどうだろう?
意味のない書類だとしても、意味のない会議だとして、効率の悪い仕事だとしても、改善をしようとしない。むしろ改善を歓迎しない。
ダラダラと仕事し、ダラダラと会議をする。
変えていくことにエネルギーを使いたがらない。
「できるために」ということをせずに、「できない理由」ばかりを思いつく。現状維持が大好きだ。
改革に要する時間を惜しむくせに、日々の無駄の時間を惜しまない。
大企業になればなるほど、それが多いのかもしれない。個々の人間関係より派閥のような関係が難しかったり、昔からの企業の風土があったりするから、方向転換をすることにエネルギーが大きいからなんだよね。
日々の無駄な時間を考えたら、その無駄を省くために要する時間なんて目の前の時間だけなのにね。
「怠惰」というのはこのことだと思う。見えない時間をどう考えるのか、ということをしない風習もそろそろやめた方がいい。
むしろそんな日本人は「勤勉」ではないということだね。
「怠惰」の使い方が間違っていると常日頃思う。
「怠惰」であることは悪いことなの?
そもそも人間は「怠惰」であるけれども、道徳的に「怠惰」であることは悪い、「怠惰」であることを恐れている。
たくさん働いていたころ、いや、今でも時たま思うことがあるが、人が働いているときに休んでいるのが、もしかしたら自分は「怠け者」なのだろうか?と思うことが多々ある。
早く帰ることに対する罪悪感、休むことに対する罪悪感、を持ったことのある人は多い。
そのために、体を壊したりしては、元も子もない。
研究結果にあるとおり、「怠惰を避けて活動的になろうとすると、“余分に” 脳資源が必要」なのだから、普段仕事をすることによって、どれだけの脳資源を使っているんだろう。
仕事において、「怠惰」であることも必要だと思う。
基本的に自分は「怠け者」と常日頃思っている。
良い「怠け者」と
悪い「怠け者」が存在している。
良い「怠け者」は、
常に目の前の仕事を効率化できないか、と考えながら仕事をする。
なぜか?早く終わらせて帰りたいから。
一つの仕事を、3時間かけるのか、1時間かけるのか、では仕事の量が全然違う。
この考えは働き始めて、仕事に慣れてきた時から思うようになった。
仕事が早くなるからといって、定時までは会社にいないといけないわけだから、次新しい仕事がほしくなる。仕事が好きだからね。
結局は、いつも忙しい、ということになるのだけれど、あの子に任せておけば大丈夫、という仕事の信頼につながった、と思う。
私の師匠にも、「お前は人の3倍は仕事できる」と褒めてもらったことがある。その後に「でもな、、、、」と続くのだが。
今はサラリーマンではないから、時間から時間まで働く、というより、仕事の量と質でお金をもらっている。
本質的に「怠け者」の自覚がある私は、早く仕事を終わらせるにどうしたらいいのかを頭に置いている。
仕事をしないためにはどうしたらいいのか、も考えている。
そして、空いた時間は、「悪い怠け者」で、のんべんだらりとしているのだ。
「悪い怠け者」は、仕事をしたくないときに出てくる。仕事をしないためにどうしようかな、とかね。
以前は、「悪い怠け者」がでてくると、罪悪感を抱いていたが、最近は、体が辛いと言っているのだから、無理をするのをやめようと、切り替えて、ゆっくり休むことにしている。
ストレスが溜まった、意欲がわかない、体が重いなど、明らかな病気ではないから、これまでだったら、それでも!と思って行動に移していたが、特に誰かと会ったり、打ち合わせの予定がなかったりしたら無理には動かない、ということをするようになった。
もちろん、サラリーマンじゃないからできる技ではある。
反対に、サラリーマンじゃないから、替えが効かないということもある。無理をしてでも行動しなければならないことも多い。だからどちらがいいということではない。
まとめ
ここで言いたいことは、「怠惰」「怠け者」であることは、必ずしも悪いことではない、ということ。
仕事に対する「怠惰」は、時間と労力を節約するためにはどうしたらいいか考える。だから、プロセスを合理化し、仕事を効率的にするのだから、むしろ「怠惰」であることが必要であるということ。
他方、世の中で「怠惰」と言われる風習について、「怠惰」が悪いことではないということ。
仕事中毒であることが素晴らしいという価値観が蔓延していて、当たり前のことをしたことに対して非難されることはない、ということ。
もちろん、普段から仕事に真摯であることが前提ではある。
人がエネルギー切れをおこしたり、モチベーション不足になってやる気なくしたりすることは理由がある。恥ずべき「怠惰」に負けているからではない。
例えば、身体が非常ベルの音を上げているのに、それを無視してまで、自分を追い詰める必要はないということ。
その時は、「怠惰」「怠け者」でいることを恐れず、堂々としていればいいのだ。
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