次なる目標と分析。
今、遠くに思える大きな目標がある。
でもそれは、
今までだって感じていたこと。
到達してみると、
なんだ…こういう事なのか…と、
集約されて行く感覚がある。
それは、食べる前はお腹がペコペコで、
満腹な状態なんて考えられないけど、
食べ始めてみると、自然に埋まって行くもの。
だから、取り組んでみなければ、
それが遠いかどうかさえ、正直わからない。
遠いと思っている事自体が、
もしかしたら思い込みかもしれない。
正確には、判断がつかない状態…
なのではないかと思う。
その目標とする試験を突破するためには、
何を学べば良いのか?
何がわからないのか?
何が自分の課題なのか?
俯瞰的に見えない時が、一番苦しい。
覚えられないという悩みは、
もう覚えさえすれば良いという
次の段階にあるのだから。
それには分析が必要だろう。
私はかつては、
直感だけに頼って挑む方だった。
分析なんてズルいとさえ思っていた。
でも、分析をしてみればわかる。
分析するためにはデータ収集が必要になる。
そして、1人の人間がどんなに両手を広げても、
届く距離は限られているにもかかわらず、
なぜ古代の人々は巨大な建造物を
作ることが出来たのかと想像する…。
来る日も、来る日も星を見て、
天動説から地動説を導き出した人々は、
分析ではなく何なのか。
パスタを茹でる時間だって、
お湯が沸騰する温度だって、
誰かが分析したから、わかったのだと思う。
当たり前のように見ている天気予報も、
気象予報士さんの分析結果だ。
そう考えれば、生活において分析力こそ
欠かせないのではないだろうか?
試験範囲を知らずに、
全く範囲外に心血を注いでも、
それは問題外ということになる。
だからまず、「分析すること」そのものを、
分析する。
どうしたら分析が出来るのかから、
考え始めてみよう。
目標とする試験範囲は、どこなのか?
今、何%くらい理解出来ていて、
何%くらい理解出来ないのか?
何が苦手で、何をわかっているのか?
謙遜は必要なく、
わかっていることは自分の持てる能力として、
素直に認める事も大切だろう。
無いものは無い、
有るものは有るのだと。
現時点の理解度が、
たとえ5%に過ぎないとしても、
その分析結果こそが、
本当のスタート地点となる。
「何もわからない」という、
霧がかった答えではなく、
数値化してみる。
今こうして書いている間にも、
ひとまず0では無いことが確認できた。
ここからの一歩一歩が、
きっと大切になる。
一歩の歩幅を気にするよりも、
小さな一歩を確実に積み上げることに、
価値を見いだしていこう。
1年後?半年後?
思い描く目標の先に、
自分はいると信じて。