No.11「優しさとは何か」 ~幸せになれる場所 秋月菜央~
どうもこんにちはそこら辺の大学生みきです!
優しさとは何か考えていたら、ずっと考え込んでしまっていて書けずにいました(笑)
あなたにとって「優しさ」とは何ですか?
今回も深く考えてしまっているので長くなっています。(笑)
どうぞ、最後まで目を通して何か感じてくれたら嬉しいです!
優しさとは何か
やさしさってなに? 優しくないってどんなことだ?ふとそう思うことがあります。
人に何かすることが優しいと思う人もいれば、優しくないと思う人もいる。
困っている人を助けることが優しいと思う人もいれば、優しくないと思う人もいる。
相手に思ったことを伝えることが優しいと思う人もいれば、優しくないと思う人もいる。
優しさは人それぞれで優しいと感じることも違いますよね。私は、見返りを求める優しさは、本当の優しさではないと思います。→その優しさは、無責任な自分のための優しさであり、自分本位な優しさだと思います。
結局、優しさについての答えなんてないと思っています。
自分の価値観を押し付けず、全く見返りを求めない、相手を思いやる行為が相手本位の優しさであるとするならば、悩みの内容、相手の価値観、性格、性質によって、手を貸すことも、時には手を貸さないことも優しさだと思います。
‘‘優しい言葉をかけた方がいい時もあれば、苦言を呈する、何も言わず見守る方が良いこともある。手伝ってあげた方が良い時もあれば、やり方だけを教える、全く手を出さない方が良いこともある‘‘
誰にどんな場合、どんな支援をしたらいいのか、ケースバイケースで取らなくてはいけない行動ってあると思います。それを理解するには、相手を普段から理解して、モノの考え方を知ることが必要になってくると思います。自分の見方だけではなく、相手の味方から支えることが大切だと考えます。
たまに、相談されたとき、「何をしてあげたらいいか分からない」って時がありませんか?それは、「何もしてあげなくていいんです」ただ、相手の話をしっかり聞くことだけでいいんです。
私は、自分がしたことに対して、誰々にこんなことしてあげたとは言いたくありません。それはなぜか。見返りを求めていないからです。見返りを求めていなくてもこの発言をしている方もいると思います。それは私の意見なので、受け流してください(笑)上の話で例えると、「話をきいてあげてる」のではなくて、「話をしてくれてる」と私は、考えています。自分が上だと言っているようなもので、相談する相手が「私はあなたの話を聞いてあげてる」って言っていたら、その人に相談したいと今後思いますか?したくないですよね?だから、「してあげる」ではなく「してくれる」と捉えています。私は、相談してきてくれる子に必ず言っていることがあります。
「私に話してくれてありがとう。誰かに話すことは迷うかもしれないけど、それでも私に話してくれてありがとう。」と。
見返りを求めるどころか、私は頼ってくれた行動がとても嬉しく思います。
こんな私を頼って相談してきてくれたんだって思ったら、どんなことでも相手のためになにかしてあげたいと思います。
たまに、すっごい親切で優しい言葉を連発する人っていますよね。「何この人。何考えてるんだろう。」って思ったことありませんか?
優しい側面しか見せない人っていうのは、経験上相手を思いやるというより、自覚せずに何らかの自己欲求を満たしたいという気持ちが強い人だと思います。
‘‘いい人と思われたい、嫌われたくない、怒られたくない‘‘
そう思っている人私の周りにもいます。誰にでもいい顔して、裏であんなこと言ってたのになんでこんな私に優しくしてくるんだろう。とか思ってもきりないので、私はそんな人なんだとスルーします(笑)
人生において、本当に優しい!って思う人と出会うのは本当に稀なことだと思います。
求めているものによって違ってくる「優しさ」
相手が求めることに合致するからこそ、それを「優しさ」だと感じる人がいます。人それぞれ、求めていることが違うため、その「優しさ」と感じることも人それぞれあるということ。
‘‘相手が求めることを理解することが優しさ‘‘だと思っています。
そのためには、相手を理解しないと優しさは、することもされることもできない。だからこそ、相手を理解することって大切だなって思います。
でも、「親切」にするということは「優しさ」とはまた別の意味になってくると思います。あくまでこれは私が思うことなので、あ、そんなこと思ってるんだって思っていてください(笑)
「親切」にすることは、誰にでも誰に対してもすることができることだと思っています。人に良いことをしたり、困っている人を助けたり、「優しさ」というのは、誰にでもできるということではないと思うからです。
相手に尽くすことだけが優しいとは限りません。どちらか一方だけの気持ちが満たされたり、得をするのは本当の「優しさ」でないと考えています。どちらの心も満たされて、本当の「優しさ」だと言えるのでないかなと思います。
優しい人でありたいと思うからこそ、自分の意見をしっかり持つことが大切です。。そのうえで、相手の気持ちに寄り添う。自分が犠牲になることなく、かと言って独りよがりでもなく、「共に」いい方向に進むにはどうずるべきかを考える。その上でできることはやる、できないことは断るということも優しさだと思います。
時に、厳しい言葉を優しく感じることがあります。反対に、誰にでも向けられる「優しさ」を虚しく感じたり、押しつけがましい「優しさ」を疎ましく感じることもあります。「優しさ」に基準はありません。ないからこそ、お互いを思いやり、本当の優しさを自分なりに感じることができるのかもしれません。
全世界、今ではたくさんの人々が交流して、たくさんの人と関わることができています。各国の伝統、言語って全く違いますよね。でも、唯一、全世界の人類が共有できるものがあると思います。それは、「愛」と「優しさ」です。他の国となってしまうと、伝統や言語などにどうしても壁ができてしまいます。もちろん、そんなの関係ないとか、壁は感じないと思う方もいると思います。でも、生まれた場所も違えば、話す言葉も違う、それはお互いが壁を感じてしまうものだと思います。唯一、同じだと言えるのは、「愛」「優しさ」。愛って、国が違くても人を愛することができる。何も変わりはありません。優しさも同じで、人にすることは優しさ、人に何かを与えることが優しさ、人それぞれ感じる優しさも違えば考える優しさも違う。だけど、人に優しさを与えることに国の壁は生まれないと思います。差別とかの話もしたいので、それはまた、次回かその次の記事にしたいと思います。
それでは、幸せになれる場所への扉を開いていきましょう!
双眼鏡は不幸のもと
人の心は双眼鏡
他人の幸せは大きく見える
「なんてラッキーなんだろう」
そして 人の不幸を見るときは
双眼鏡を逆さにする
逆さにすると小さく見えて
「なんだ たいしたことないじゃない」
人の苦労は評価しない
それなのに 自分に対しては逆になる
自分の幸せは小さく見えて
「もっと」「まだまだ」と
口がとがる
不運に遭うと 大きく見えて
「なんてついてない」と地団駄を踏みたくなる
双眼鏡は捨てて
ありのままに見てみよう
人の幸せも 自分の不幸も
本当はたいしたことはない
人の不幸と 自分の幸福は
けっこう大きかったりするものだから
今回の記事はどうだったでしょうか!
人それぞれと私は何回も言っていると思います!
それは、これが正解だ、これが正しいとは言いたくないからです。私が合っているという保証はありません。私が合っているということ自体思っていません。なので、個人個人の、意見を大切にしたいと思っています。
だからこの記事を読んで、どう思うのかも自由、よく思うのも、悪く思うのも、全てあなたの自由です。
それでも、人それぞれ意見、感じること、考えることは異なるので、私は感じたことや考えることが違くて当たり前だと思ってます笑
なので、これからも少し気になったら読むとか、タイトルだけ読むとかでも全然構いません笑
話が逸れました、私は、本当の意味で優しいと言って貰えるような人になりたいです。
人それぞれの求める優しさを理解して、その人の求める優しいを、自分の力で得られたらそれは、優しいということだと思います。
優しさの正解はない。あなたが思う優しさこそ、本当の優しさだと思うから。
今日も読んでいただき本当にありがとうございます!
次回も、いや、これからも読んでくださるような、記事を用意していきます!!!暖かい目で読んでください笑笑🙆♀️
次回は、差別について書いていこうと思います!
今日よりも明日があなたにとって素敵な日になりますように!
それではまた次回の記事でお会いしましょう!!