焼きそばじゃなかった

タイトルとは違って真面目なお話。


ヤングケアラーとはなんぞや?


母子家庭で一人っ子だった私は
よしこさん(母)と一緒に
ながちゃん(祖父)ていこさん(祖母)と
続けて在宅介護をしてきた
元ヤングケアラー、若者ケアラーでした。


初めてヤングケアラーと聞いた時
ペヤング?と謎の焼きそばを想像した
アホでしたが自分のことでした。
(タイトル回収)


本人がわかってないのだから
知らない人もいるのだと思うので

○ヤングケアラー
ケアを要する家族がいるため、家族のケア(家事、介護、子どもの世話、通訳、感情的サポート等)を行ってる子どもたち。


それを認識したのも約18年の介護生活が
終わった2年後。


私が14歳の時
ながちゃんが脳梗塞で倒れて
後遺症の認知症の症状が出てきて

鬼太郎の歌を歌いながら楽しそうに
階段を登ってくる、
面白ながちゃんは消えて

怒ることが増えて、謎の名前を連発し
散歩しまくるスーパーながちゃんに
なっていた。


山登りが趣味だった、ながちゃん
足腰がしっかりしていて
毎日、玄関を開けっぱなしにして
家の周りを何周もしておった。

だから、家に誰か見ていなければ
いけなかったので、それが自分の
最初の役割。

ていこさんとよしこさんが
2人で出かける時など


そして、1番困ったのは
トイレの排泄の失敗。

溜まった大人の便を場所を選ばず
漏らしてしまう。

1ヶ月に2回くらいだったか。

匂いに気持ち悪くなり
トイレの壁中が汚れていたりで
ノイローゼ気味になってた
自分が10代後半から20代頃。

ながちゃん自身も自分をコントロール
できなくて苦しかったと思うけど
片付けなどするのに
かなりこっちも苦しかった。


ふざけんじゃねえ
クソジジイ
なんでこんなことしなきゃなんねぇんだよ


ってヤクザ並みに
ブチ切れておりました。

なんて孫でしょう。
そんな風にキレて反省して
大泣きしてました。


ながちゃんが2011年に亡くなり
介護が終わった後もずっと後悔ばかり。

子供の頃、父代わりに可愛がってくれた
ながちゃんに
私は怒鳴り散らして最悪な孫だった。

精神が追い詰められた時
一緒に死のうかとまで考えた。
ニュースで見る
介護殺人が他人事には全く思えなかった。


でも、何かに止められた。
やめようって。
やめなさいって。



新しい生き方を知った時

最悪な孫だと思った自分は
ながちゃんが大好きで、壊れて
変わり果てた姿を見るのが悲しすぎて

悲しみが怒りに変わり、
怒ることで自分を守っていたと分かり
自分を許すことができた。


ながちゃんも怒ってばかりだったけど
しっかり自立して頑張って生きてきたのに
こんな風に孫や娘に面倒かけて
凄く悲しかったんだと思う。


自分が隠したものを目の前に見る。
近い存在ほどみにくい(醜い)もの。

私は自分の中の
汚いものをないものとして
綺麗な自分のフリをして生きてた。

その隠した汚いものをながちゃんは
身体を張って見せてくれて
私が隠した汚いと思った感情を
沢山出させてくれてた。


それが分かって、本当にひどかったけど
あれでよかったんだと思えました。
⁡じーちゃん、ありがとう☘️



次回はていこさん介護 若者ケアラー編かな

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