The end of their life. 113 弘田 三枝子
The end of their life. 113
弘田 三枝子(ひろた みえこ)
(1947年2月5日-2020年7月21日)
歌手。
東京都世田谷区池尻生まれ。
愛称ミコ。幼い頃から声楽の英才教育をうけ中学の頃には進駐軍キャンプでポップスやジャズなどを歌う。
1961年に「和製ブレンダ・リー」のキャッチフレーズで、ヘレン・シャピロのカヴァー『子供ぢゃないの』でデビュー。
翌1962年にはコニー・フランシスのカヴァー『ヴァケイション』が20万枚のヒットを記録し、15歳で紅白歌合戦に初出場。
1964年、2度目の来日を果たしたエラ・フィッツジェラルドから直々に「養女にしたい」とまで言われる。また、翌年には東洋人歌手として初めてアメリカのニューポート・ジャズ・フェスティヴァルに招待され、『ムーン・リヴァー』などを歌う。さらにその足でニューヨークに渡り、トニー・スコットのプロデュースでアルバム『ニューヨークのミコ』を制作した。
1969年、これまでとは趣きを異にする『人形の家』がミリオンセラーを記録。
曲を自分の世界にもっていくために、家での練習は、歌詞を理解してメロディーを体に入れる「儀式」と、自ら考案した記号を譜面に記載したうえに、さらに歌を録音して聴きながら歌をものにする「小稽古」をしていた。
晩年まで、空き時間に最新曲をiPodで聴きあさり、採り入れ、学ぶ姿勢を失わなかった。そして、歌唱待ちの舞台袖で椅子をすすめられても勉強になるといって立ったまま他の歌手の唄に耳を傾けたり、「自分も先輩によくしてもらったから」とスタッフをはじめ後輩らにも謙虚な姿勢で接し、同業者やスタッフに好かれていた。
2020年7月20日、千葉県内の自宅で倒れて病院に搬送され、翌21日心不全のため死去。73歳。
山下達郎は「戦後最高の力量をもつシンガーのひとり」、桑田佳祐は「チャーミングでみんなの憧れでとにかくナンバーワンだった。。一連のカヴァー曲は明るい未来へ向かうアンセムのようだった」と追悼メッセージでミコを称えた。