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「普通」って難しい

こんにちは、美以です。

突然ですが『普通』って難しくありませんか?

自分にとっての『普通』と他の人にとっての『普通』は別物だと私は思います。

親や友達からは「○○ちゃんはどうして『普通』にできないの?」や「『普通』はこうじゃないの?」という言葉を幼い頃から今までよく言われたし、よく耳にしました。

また、日本は異常に『普通』であることを求められます。むしろ「人と違う個性は悪」みたいな雰囲気さえあります。

では、今回は『普通』を求める理由やそれに息詰まった時の考え方を挙げていきたいと思います。


そもそも『普通』ってどういう意味?

きっと誰でも口にしたことがある『普通』ですが、これは何を指すのでしょうか?

特に変わっていないこと。ごくありふれたものであること。それがあたりまえであること。また、そのさま。「今回は―以上の出来だ」「―の勤め人」「朝は六時に起きるのが―だ」「目つきが―でない」

 デジタル大辞泉(小学館)


辞書を引くと上記のように説明されています。

『普通』には当たり前やありふれたものを指すことがわかります。

辞書に記載されている意味から考えると、使い方や指し示す意味自体は誤ってはいないように考えます。

なぜなら、自分や自分の周囲での当たり前を『普通』としているからです。


なぜ、『普通』を求めるのか?


正直なところここが一番よくわからないところです。

幼い頃ならまだしも年齢を重ねると、自分の普通と他人の普通が違うことを徐々に理解しそうなものです。

それなのに、親や教師は普通を求めます。時には会社でも…

経験してきた背景が違うのにも関わらず、知らないことを「普通は〜」と言い嘲笑うのはどうしてなのでしょうか?(テレビドラマや小説などにもこういう場面ありますよね)。

そこでネット上で調べてみると下記のようなは記事を見付けました。

「普通」「常識」といった言葉には、相手に自分の言う通りにさせたい意識(=支配欲)が入り込みやすい。そういう言葉を使わない表現に置き換えてみよう。それで何か物足りないと感じるなら、相手に対する支配欲を満たそうとしている可能性がある。

日経woman『第17回 「周りが協力してくれない」を解決する方法』https://woman.nikkei.com/atcl/aria/cc/nh/100300005/033000030/?P=3


恐らくこの意見ばかりではないでしょう。

ただ、年齢を重ねてから『普通』を他人に求める人は、このような考え方を心の何処かに持っているのかもしれません。


また、学生時代に多いかと思いますが、他人(同世代)へ『普通』を求めるには下記のような理由もあります。

・型取りするため
・線引き、区分けするため

学校、会社や社会人団体など様々なコミュニティに属している人が多いのかとは思います。
(ママ友や銭湯友など特定の時期や場所で生まれる関係も立派なコミュニティの一つですよね)

人が多い場所で起こりがちなのがグループ分けです。

グループ分けするとグループ内の共通認識を『普通』としたり、それに馴染めない人がいると『普通』じゃないとするような線引きです。

同じ『普通』を持つ人といると何処か安心しませんか?

それは『普通』という壁を使い、囲うことで自分の味方が出来たと思うからです。

また、自分とは違う普通を持つ人を排斥してしまうのは、普通が違う人は自分(達)にとっての異物と認識します。

人だけではなく異物は排除したくなることはありませんか?

それもまた、安心感を得たいという感情の裏返しのように考えられます。

自分(達)の意見や考え方を覆されるのは、大人になった今でも怖いものです。


では、それまでを理解した上で『普通』を求められて割り切るれるものではなく、苦しくなった時について考えてみましょう。


『普通』を求められた時の考え方


その時における自分の立ち位置によって変わるかと思いますが、今回は求められた時のことを書きます。

このパターンの考え方は大きく2つにわけられると思います。(細分化するとどんどん細かく出来そうですが…)


パターン① 相手の求める自分でいること

離れたくない(離れられない)相手の時…

グループや集団に馴染みたい時…

など、上記のようにどうしても相手の求める『普通』になる必要があると考えてしまう時があると思います。

そういった時は、折り合いを付け、相手の『普通』に擬態するために自分の『普通』との近いところや妥協出来るところを探していきます。

周囲から浮かずに安心感を得ることが出来ます。
また、求めらる相手が親や教師などの場合は注意を受ける回数が減ります。

これを利用出来るのは自分を開放する場所がある時に限る必要があります。

もちろん、相手の『普通』が自分の『普通』になってしまえば問題ありません。


そして、相手の『普通』でいる時と飾らない自分でいる時とのオンオフを、上手に切り替えれている時もこの対処法が有効です。


この方法で疲れたりした場合やそもそもパターン①で対処したくない方は、下記のような考え方はいかがでしょうか?


パターン②自分らしさを大切にすること


このパターンは下記のマンガの中のセリフでした。


『よなよな -今夜も呑んで忘れましょう-』 作者:我楽谷


この作品は真逆の性格である姉 萩と弟 福が8年ぶりに一緒に住むところから始まります。


日常のモヤッとして悶々としてジタバタしたくもなるけど、お酒を飲んで、美味しいご飯を食べて「色々あるけどまぁいっか」とする2人の何でもない日々を描く日常系コミックです。


ストーリーの紹介はこのあたりにしといて…


今回、取り上げたいの7杯目(=7話)に萩の同僚の岩国さんが言ったこのセリフです。

自分の基準で測って
沿ってるズレてるって
言ってるだけで
例えそれが多数派でも
それに合わせて
生きなきゃいけない
わけじゃないし
何を普通だと
思っててもいいけど
自分の基準を
押し付けてくるなら
それはもう偏見じゃん

『よなよな -今夜も呑んで忘れましょう-』 我楽谷 7杯目


外にいる時は『普通』を装い、みんなと同じフリをしていることに疲れた萩に向けてのセリフになるのですが、すごく真理をついていると思いませんか?


このセリフを読んだ時は目からウロコでした。


よくよく読み込むと、いわゆる当たり前な考え方ではあるのですが、言われないと気付けない考え方です。

『普通』に見えるように装うことばかり考えていると、この真逆の考え方は指摘をされないと気付きづらい思考になっています。


そうとはいえ、社会で生きやすくするために周囲の『普通』に合わせることは多少なりとも必要となります。


自分の言っている事が矛盾していることは理解しています。

ただ、今までの人生からして『普通』から完全に背を向けると一気に生き辛くなります。


そのためパターン②は完全にパターン①から独立出来るわけではありません。


ただ、この考え方をすることで気持ちがフッと軽くなりませんか?


パターン②は相手の『普通』を無視するわけではありませんが、「自分らしさを大切にしても良いんだ」と思えるようになる考え方です。


さいごに


相手の『普通』と自分の『普通』は視点が違うので、違う『普通』で当たり前です。


しかし、そのことを頭の片隅で理解していても周囲に求めてしまいがちです。


求められた側は受け入れられる場合もあれば、同じフリをして過ごす場合もあります。


今回はこの『普通』を求められた場合の対処法をお話してきました。

・相手の求める自分でいること

・自分らしさを大切にすること 

私は後者で紹介したセリフを知ってからは、『普通』を装うことへの負担が軽くなりました。


もし同じように『普通』が難しいと感じる方がいたら、後者の考え方をぜひ試してみてください。


もしかしたら以前と視点が変わるかもしれません。


そんなことのお手伝いが出来たら嬉しいです。


ここまで読んでいただきありがとうございます。


またまた長くなりました。


重複した表現ばかりして字数を稼いでいる気がしてなりません…


次こそは分かりやすく簡潔に!を目標で書いていきたいです。



では、また次でお会いしましょう。


またねー


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