取り柄のなかった私が「普通」から抜け出すために最初の6ヶ月でやったこと。
こんにちわ。岡田実津希(@miichan32)です。
おかげさまでInstagram、現在では1万3千人の方と繋がることが出来ています。皆さんいつも仲良くしてくれて本当に有難う御座います。
元々クリニック勤めだった私は24歳の頃「影響力のあるスノーボーダになりたい!」と思い立ち、仕事を辞めて雪山へと篭りました。20歳の頃からスノーボードが好きだった私は、女子のライダー陣が出すDVDを観て、メディアへの露出にとても興味を抱きました。「こんな可愛いのに、上手くて影響力あって凄い!」
その頃恋愛しかすることがなかった私(趣味がない)には、こんなにも一つのことに夢中になって取り組んでいる姿は、とても輝いて見えたんです。特に好きだった女性ライダーはオリンピアでもある広野あさみさん
あさみさんがいなかったら、きっと今の私はないでしょう(笑)
話しは戻ります。初めてこれがやりたい!と思えたことだったので、仕事を辞めました。もちろん不安はありました。それでもやって後悔するよりやらずに後悔する方が嫌でした。
最初の6ヶ月間でやったこと
まず仕事を辞めるまでの期間、部屋の壁に「影響力のあるライダーになる!」と大きく殴り書きした紙を貼りました。毎日それを見ながらモチベーションを高め、仕事から帰ってきてはランニング、玄関で筋トレをしました。そして辞めた後の準備に取り掛かります。「海外・・白馬・・仕事・・住むとこ・・」ひたすら探す
仕事を辞めた後は、自分がやりたいことが集中してできる環境に飛び込みました。「海外ライダーの滑りを見たい!」とニュージーランドへ。NZには日本人のコミュニティがあり、そこで座学やレッスンなどのスノーボードキャンプをしています。なんとその年、偶然にも世界トップクラスを教えているカリスマコーチ阪西翔さんがコーチとして滞在しているということで、すぐに申し込みました。
1ヶ月NZでスノーボードを教えてもらった後、国内最大規模のゲレンデを誇る長野県の白馬村に行きました。そこでも「JapanParkSchool」で阪西翔さんにスノーボードをレッスンしていただきました。
技術を磨きながら、SNSを活用し自身の活動を配信。FacebookやInstagramを使い練習動画や綺麗な山々の写真、時には自分で動画を作成したり、同じスノーボーダーの方々と交流したりしました。反応がいい投稿・悪い投稿など「計画・行動・反省・改善」のPDCAサイクルを繰り返し、徐々にSNSのブランディングが出来上がってきた感じです。
ここまでが、なんの取り柄もなかった私が「普通」から抜け出すために、最初の6ヶ月でやったことです。
そして今もなおその6ヶ月間は私の中で続いています(笑)もうかれこれ4年くらい経ってる・・・
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