心に栄養を与えるための学び
残念ながら、今まで学校で学んだことは社会に出てほとんど役に立っていない。
ごく限られた地域でのみ使われる言葉、多種多様な形で表現される現代アート、この国に古くから伝わる美しい文化、遠い国の社会事情。私にとってはワクワクする世界だが「そんなの知ってて何の役に立つの?」と思われても仕方ないし、実際社会に出た今では精々話のタネにしかならない。
それでも、そういうことを何年もかけて学ぶのは楽しかったし学んできてよかったと思う。
大学の卒業式の日だっただろうか。とある教授が私達にこう言った。
「うちの学部で学ぶことは社会に出てすぐ役に立つものじゃないかもしれない。でも、必ず人生を豊かにしてくれるものだよ」
個人的にこの教授との接点はなかったが所謂「ガチゼミ」を持っている人だったので、そういう意識高そうなあれこれを斜に構えて見ていた私にとっては少し苦手意識があった。しかし、こんな風に言ってくれる教授がいる学部で学べたことは素直に嬉しく思えたし、どうしてこの人の素晴らしさにもっと早く気づけなかったんだろうと少し悔しさを覚えた。
では何故苦手なはずの人の言葉が腑に落ちたのか。私自身がそれを日常の中で確かに感じ取ったからだ。
ある映画を見た時、文化的な背景を分かっていたおかげで演出やキャラクターの言動の意図を理解するのは難しくなかった。むしろそこまで考えて作ってくれた制作陣に感謝すらしていた。
役立ってくれたのは好きで受けていた授業で学んだことだけじゃない。サークル活動でやって来たことをそっくりそのままやる機会はなくなってしまったが、その精神が私の中で完全に死ぬことはなく形を変えて今でも生き続けて何もかもが嫌になってしまった時に側にいて心に栄養を与えてくれる。そのために学んできたんだと心から思えた。
だから今でもあの時あの教授が言ったことは大切な教えとして心の片隅にいる。
それから随分と時が過ぎた最近。思わぬところでこの教えに再会する。
私が愛してやまないポケモンの最新作スカーレット・バイオレットで主人公が学校に通うのは今やかなり知られたことかもしれない。
学校に通う以上当然授業を受けるわけだが、ここはポケットモンスターの世界。タイプ相性やバトルのルール等ゲームを楽しむために必要な情報を学ぶものが多い中である意味異色を放つのが美術の授業。
ポケモンがテラスタルした時に頭に乗っかる宝石が表すタイプはゲーム進行における基本だが、それ以外に習うのは精々そらとぶタクシーでの移動時にしか使わないパルデア十景。だがしかし、この教科を担当するハッサク先生は初回の授業でこんなことを言った。
この授業で学んだことを必ずしも進学や就職に使うとは限らないし、大人になるにつれて忘れてしまう人がほとんど。でもいつかどこかで心の支えとなってくれるもの。つまり……
「人生になくていいものですがあったほうがより楽しいもの!」
まさかこんなところであの教授と同じことを教わるなんて。ゲームだから、フィクションだからと侮る勿れ。ポケモンSVが発売される前どころかあの教授と出会うよりも昔からずっと大切にしてきたかもしれないのに、社会に出た今や忘れてしまっていた教えを思い出すきっかけが大好きなものにあるとは。それが私の人生なのかもしれない。
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