だめと言われるとやりたくなってしまう。だって人間だもの。
幼い頃から父親から、「勉強なんてしなくていい」と言われて育ちました。
「それよりも大切なのは、挨拶をすることと、呼ばれたら返事をすること。そんな当たり前のことができない大人がたくさんいる」と、耳にタコができるくらい聞かされました。
確かに社会に出たら、父親の言うことは正しかったと実感。
友人たちは、塾や公文、進研ゼミなど習い事をしている子も多かったように思いますが、我が家はそれらは禁止。塾禁止令が出る家はなかなかないのではないでしょうか。
だからといって、親が勉強を教えてくれるわけでもありません。「授業聞いてれば十分だろう」とのこと。
今の時代はどうかわかりませんが、アラフォー世代の小中学校の頃を思い返すと、まぁ間違ってはいないかと思わなくもないです。
(相田みつをさん、大変失礼いたしました。小声で謝罪。)
父親は子どもの意見を聞いているフリだけして自分の考えを押し付けるタイプの人間です。(父ちゃん、ひどい言われようやな。)
なので、勉強系の習い事を習わせてもらうのは無理だとわかっていたので、公文に嫌々通っていた友人の宿題をやらせてもらうということで思いを昇華させていました。
(友人のご両親へこの場を借りてお詫び申し上げます。ごめんなさい。小声で謝罪、パート2。)
やりたいことができない環境はどうかと思いますが、勉強を強制されなかったこと、むしろ「しなくていい」と言われていたおかげで、勉強嫌いになることはありませんでした。
実際に学校に通っている時期は、勉強することが面倒で、楽しく学ぶなんてことはほぼ無かったのですが、大人になった今、学びの楽しさに目覚めています。
受験勉強を経験せずに大人になったこともあり、自分なりの勉強法は確立されてないし、要領も悪いけれど、何かしらを吸収することは楽しい。
死ぬまで何かしら学び続けたいし、親が学び続けている姿を息子に見せたい。うちの母ちゃん、なんかいつも生き生きしてるなと思ってもらえたらいいなと思っています。
まだまだ人生前半戦、これからも吸収し続けるぞーーーー。
それではまたー!