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海外で働きたいなら大学で英語を専門にするな!

大学に行くなと言っている訳ではない。
大学に行く事が無意味な人はたくさんいる。

このタイトルの『海外で働きたいなら大学で英語を専門にするな!』もその一つの例で私が伝えたい事の一つ。

英文科とかコミュニケーションとかその類のもの全部無意味と私は言いたい。

こんなテクノロジーが発展した時代に、どうして大学に行く事が前提になる人がこんなにも多いのか疑問に思う事が多いし、理解に苦しむ。

“海外で働きたい”

あなたの人生だから、それは多いに自由。理由なんてどうでもいい。そう感じるのならば、そう動いてみる。それだって人生。

しかし、ただ漠然と働きたいと思っても叶う事はない。行動しなければ実現はしない。

海外で働く手段は調べれば見つかる。その条件をクリアすれば叶う。具体的にどう動くか決めて、解決策を練ればいい。金の問題なのか時間の問題なのかとかそういう事。。

そこで考えてみて欲しい。

働くってなんだろうか?

あなたの中のイメージでそれは大きく変わる。

なんでもいいから働きたい。そう思うなら、英語力なんて関係ない。海外でも日本語で働いたり無言で働く事は可能だからが理由。少し身体を海外において何でも良いから働きたいならすぐ出来る話。ただ念のため言っておくと、生活する上で自分の考えを伝えなければいけない場面は多いから、適当に解答してはダメだ。だから英語を使う必要はある。

だけど少なくとも大学が前提ではない

働くを具体的にイメージして、会話を駆使して現地の人と共に働きたいとの思いがあれば英語を使う必要性は増す。こういう場面では、英語が出来るのは当たり前となる。

そしてどんな所で働きたいかによって背景知識や必要な語彙などは大きく変わる。

自分がどうしたいかの部分がもっと重要になるんだ。比べると、英文法や英語表現や文化分析なんて無意味に等しい。

どうしてそれをしたいのか。あなたの想いはどこなのか。売り込める要素はどこなのか。あなたは英語以外に何が出来るのかが必要。

英語ばかりいくら出来たって現地の人間にある上記の部分がないあなたであればただの足手まといでいらない人材。

英語の専門家が必要という前提条件なんてないから、英文科の類に言ってましたと言ったって

言語学の専門家になりたいの?変わってるね?

英語の文学に興味あるの?研究者になれば?

と思われるよって話。

会社に属するという事は、どういう事か考えてみて欲しい。

一つの共同体としての目標を果たす為に一丸となり取り組む事。場所によって雰囲気は変わるし必要となるコミュニケーション様式も変わる。

大学という場は、大人数で講義を提供する。そして、教授が定めたものでレポート書いたりする場所だ。

ある意味、型にはめている。

しかし働くという定義が人により異なる以上は、その型は様々でかけ離れている。英語圏でも日本でもこれは同じ事。

英語の話をすると、自分が身を置きたい場での、語彙やコミュニケーション方法は異なる。

海外で働きたいから、取り敢えず大学入って英語を勉強するかなんていう事はズレまくりな方法としか言えない。

ひとりひとりが必要な知識やコミュニケーション方式や語彙が違う為にカリキュラムでは括れないからが理由。

大学に取り敢えず通うなんて事は、ただの逃げで時間の浪費だ。

どうしたいか具体的に考えていない時点で、暇つぶししているだけ。

暇つぶしが悪いと言ってる訳ではない認識する事が大切という話。

自分で認識し納得すればそれだけ後悔が少ないのが人生だから、、

海外でどうしたいというのか?
働くという事を漠然と捉えてはいないか?

大学が正解を用意してくれる訳ではないし、海外が正解を用意してくれる訳でもない。

“とりあえず、海外で働きたいから大学で英語を専門にしよう”

これほどバカな事はない。。。

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