英語ができると素晴らしい
日本は日本語だけで生活できるから、英語は必要ない。やる時間が無駄だ。
こういう話はよく耳に入る。
はい、それは正解です。
だって、人生の時間は有限ですからね。
けれど、その一方で英語ができると素晴らしい世界が広がるのは確か。
できない事と、圧倒的に違います。
英語は国際語である事実は確か。
なので、あらゆる情報が英語で行き来している事実がある。
日本語で仕入れる情報と、視点が違うようなものもありそれを受け取ることで自己の思考が広がる。そして気づきもある。
それだけじゃない。世界の人が使っている言語なのでどうしても、使っている人の思想や考えが反映されているんです。
言語を学ぶことは、いろいろな価値観を知ることでありとても面白い興味深いこと。
結果、英語だけではなく全く関係ない場所でその言語を習得した過程が活かされることさえあるんです。
人生で壁にぶち当たった時、悩んだ時どう自分が歩めば良いだろうか?
英語を真剣に学び習得すれば、その選択肢が多様でありひとつではないと容易に分かるようになる。それも、英語を学ぶ良さでもある。
現代は、機械翻訳が進んでいるから学ばなくても良い。それはその通りかもしれません。
けれどその場合は、英語を学ぶ過程で身につく考え方や柔軟性を敢えて無視しているという前提になります。
これは、真剣に学んできた人には分かる意味でしょう。一方真剣にやってきてない人には一生分かることはありません。
言い換えると、言葉の意味どうりしか捉えられない人になる可能性も高く、世界が狭いままで良いならそれで良いという話になります。
その程度に短絡的だったら、私は評価されるための英語勉強や資格勉強なんてやめるべきと思う。
だって必要ないでしょう。
全て、言葉から言葉に変換されたものを見れば良いから必要ないですね。
言語を習得するということは、そんなに薄っぺらい話ではない。
特に、英語を習得することは世界の人の背景を知ることに繋がる。真剣に取り組めば深みが見えてくる話。
表向きに、何となく分かりごまかしながら使えるように見えりゃ良いや程度だったら英語なんてやる意味はない。
そもそも薄っぺらい思想だし時間が勿体無い。
自分の核もない知りたいこともない興味もない。それでいて、言語の背景などどうでもいい。ただ評価されるために何となく点数を取りたい。
もしそうだとしたら、それってマヤカシで何の意味があるのか?
偽装しているだけで、実際にちゃんと使えるわけがない。
自分の周りの世界だけで生きていき、新しく価値観なんて仕入れたくないなら英語をやる必要など全くないのではないだろうか……
そんなに浅い思考は捨てれば良いと思う。
いや、そんな事はない。機械で間に合う。と言いたい人はいるかもしれない。
確かに進化してはいるが、私から見ればまだまだ間違いだらけで酷いものもある。
それに、ひとりひとり微妙に異なる性格や環境、そして文化背景による言語の使い分けのニュアンスの違いとかはどう判断するんだろうか?
正直、ネーティブスピーカーでさえも100%意味を推測するのは困難だ。
脳に電極繋いで完全に数値に変換して、相手の脳に直接送信しない限り無理ではないか……。
完全に分からなかったとしても、やり取りをする上で学んできたことが後にコミュニケーションに活かされそれ以外の部分でも役立つそういうものに思う。
英語は必要ない。日本語を大事にすべきだとかもよく聞く。
しかし、大袈裟だなあと思う。
何も日本語を捨てる必要も、自分が身につけているものも、文化も何も捨てる必要はない。
捨てるも捨てないも自由だ。
言語に縛られすぎだ。
言葉ごときで、大袈裟すぎるんだよね 笑。
私はこう思うけど、あなたはこう思うの?で、良いのにどうしたのって話。
言語を学ぶことは、自分の可能性や価値観を広げる素晴らしいことでもある。
英語ができると素晴らしい。
狭い価値観や狭い世界の中に囚われることがなくなるからだ。
とてつもなく自由になる事もできる。使い方次第、考え方次第で大いなる可能性を秘めている。