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英語を話そうが何も変わらない
英語を話すと何か変わるのでしょうか?
結局、英語を話そうが何も変わらないのです。
けれども、出来る事は確実に増える。
それが素晴らしいのです。
英語を話せると、日本人以外の人の多くに「自分」を伝え、相手と会話により意見や情報を交換し合う、それが出来る状態の筋道を立てられます。
ここで大切な事は、英語を途中から話せるようになっても、その人が産まれ育ち生きてきた歴史は決して変わる事はない事実です。
最初から英語圏の人が歩んできた人生と同じように、あなたの歩んできた道のり自体が英語によって変わるわけはありません。
それが自分自身なのですから。
これを無意識に混同すると何とも奇妙な状態になる。その違和感は、相手に伝わってしまう。
別に英語を話し始めただけで、急に英語ルーツのゲルマン系の人々と同等の歴史を歩み始めるわけではないからなのです。
もっと言えばそのゲルマン系の人達であっても、どんな哲学でいきているかはその人自身の人生が大きく影響し、決して方式のように型があるわけでもない。
これを日本人に当てはまる。
日本人はアジア系です。
けれども、人生は型がないのです。
他人は自分と同じじゃないのです。
この分かりきった事実は、英語を使いこなした所で変わらない。
それでいて、互いにコミュニケーションを取るとはどういう事なのだろうか?
互いの背景を知る努力なのです。
生きている中で、誰でもその人なりの歩み方というものがある。
それを理解しようとする事自体が努力なのです。
自分はこういう人間だ。
相手はこういう人間だ。
上手に把握し、そして相手に通じるようにコミュニケーションを取る。
それをできてこそ初めて上手に会話できる。
互いの歩み寄りがあれば、それはもっと簡単になる。
けれども、まずは自分が理解しようと努める入り口に立たないと、そのキッカケはそもそも出来ないのです。
“英語を話せるようになりたいな。
これが通じやすい表現だから相手に言ってみよう
私はこうだ!話さなきゃ!
なるほどー!英語圏の人はこうだから、こう喋ってみよう!こんな感じに乗ってみよう!”
これだけの感覚で実際に英語圏で生活してきた人に、話しかけるとしましょう。
正直言ってあなたはただの奇妙な人なのです。
それなのに会話してくれるなら、相手が何らかの利益を感じているだけで本来の人同士の関係性とはちょっと違う。
理解できていないのに会話が成り立つとしたら、利害関係だからです。
それがなくなれば、会話を初め関係性は一気に成り立たなくなる。
相手にとって奇妙な状態である時は、
“相手への理解や自分への理解。
そして違いの把握。
伝える工夫。”
が全て欠如しているのです。
英語を話そうが何も変わらないという事を分かっていなければ、英語を話しても相手との関係性を変えることはできない。
例えば、ドラマ「フレンズ」を見て
”お!あれがアメリカ人かー!ああいう乗りで明るく突撃しよう!”
そう思ってもあれは彼らの背景があってこそああなっている。皆んなあれが素ではないと知る必要がある。
刺さる表現などの感じ方、話したいと思うキッカケはみんな違う。
この解像度が低ければ相手には奇妙でしかない。
「フレンズ」真似しても意味がない。
アジア人である英語学習者が、みんなしてあれを真似する。それこそ奇妙なのです。
理解していなければコピー出来るわけないし、ただそれをやっても向こうからしたら意味不明に思う。
自分の歴史を尊重しつつ、相手の歴史も尊重する。それこそが、コミュニケーションの核。
これは、英語だろうが他の言語だろうが同じでしょう。
英語を話そうが何も変わらない。
ここをよく理解できてこそ、英語が使えるようになるのです。
これは、語彙力とはまた別の話です。
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英語を使いこなすためのヒントになればと思いまとめています。
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