「誰とでも」を捨てよう
英語学習をしている人で英会話の練習をしている人は、ともかく誰とでも英語をお喋りして上手く話せるようになろうと考えがちです。
そういった場合、積極的な人は英語圏の人を見つけると友好的に多くの人と話したいと思うでしょう。そして、そういう状況に至った時にもし自分の言っていることが通じないと、過剰に落ち込みがちです。
しかし、これは冷静に考えると奇妙なことです。
一旦日本語で考えてみるとわかりやすい。
コミュニケーションが上手くなりたいからといって誰とでも話をしに行こうと思いますか?という話です。
そして、誰とでも話したと仮定して相手といつも話が弾む保証などあるのか?という点。
この2つを考えると、「誰とでも」を捨てた方が良い場合も多くあるはずなのです。
まず、基本的にコミュニケーションというのは、双方ともに相手の話に耳を傾けようとし、その時初めて相手から様々な情報を得る。それが前提になっているはずです。それに加え、内容に興味を抱き、反応を返すという一連の流れがある。
ここで大切なことは、「双方共に」という点なのです。コミュニケーションには相手がいるので、上手く折り合いがつき中間点に辿り着かなければ通じはしない。
自分がコミュニケーションをしたい場合は、心が開いているのでコミュニケーションを取る準備はできています。しかし、相手はどうでしょうか。それを意識する方が良いのです。
いくら自分がコミュニケーションしたい気持ちがあろうとも、相手になければそれは成立しません。
しばしば言語力が未発達だと、この視点が誰でも抜けがちなので注意した方が良いのです。
通じないとすぐ、
自分の英語のせいだ。
まだ、発音が悪いのかな。
何か変なこと言ったかな。
とか思うのは滑稽です。
ある程度、学習し練習を積んだ人が何か言った後にすぐこう思ってしまったとしたら不自然。
そもそも相手が聞いていない。
内容に興味がないから無視。
相手にとってあなたが透明なので無視。
聞きとっているけど、聴いていない。
(聞き流しをしている)
のパターンがあるのを認知すべきなのです。
もちろん、相手がこういう風でない場合もありますがこういう状況は実際に何語で喋ろうが起こり得るはず。なので、全て英語力に結びつけると混乱してしまう。
いつまでも、英語をなんとかしなければと思い磨き抜いたとしても上のような状況の場合は改善は見込まれない。
相手の心が開くかだけの話で、話している人の英語力とはさほど関連性がないためです。
この視点が欠けてしまい言語としての英語を洗練させたら通じるから、なんとかそうしてから使おうなんて思ってしまったら最後。理想な状態は永遠に来なくなってしまう。ずっと使えない状況が継続する。
いつ使える時が来るのでしょうか………
日本人にありがちな完璧主義が悪い方向に働いた例です。
コミュニケーションは、言語力だけで形成されていない。そして、相手とは他人なので全て理解は不可能。自分で色々と変えれることはあるけれど、それは有限で相手次第のこともある。こういうことを心に留めておいた方が現実的なのです。
英会話を上達させたいと思っている人は、人との会話は言語だけでは成り立っていない。そして、相手次第の部分もあり必ずや限界があると現実を受け入れることが必要なはず。
会話を上達させたかったら、それはコミュニケーションなので、言語だけ磨いてもだめなことを受け入れることが最初の一歩なのです。
それは同時に、言語を磨いたら必ず「誰とでも」話すことができるいう視点を手放すことも意味します。
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コミュニケーションのヒントなどなど。
まとまっています