エッセイのコツ[意見と感想の違い]
語学留学したり、大学に留学する場合。また、海外で長期で仕事をしたり永住権を取りたい場合にTOEFL、IELTSやPTEなどの試験を受けることになる人が殆どでしょう。
それらの経験で必須なのが、エッセイです。
上記にあげた目的のために練習する人も多いとは思いますが、そうでなくてもエッセイを書く時のようなものの考え方は非常に重要です。
エッセイのコツを知る事は、ある意味他人との関わり方にも非常にヒントとなります。
世界では、エッセイを書く時のような物の考え方を教育で身につけているのですが、日本は特にそれを教育で重点的に行なっていないために非常に感情論で物事や人を判断する事が多く問題と思います。
例えば、好き嫌いで人や物事の良し悪しを判断して論理的に物を見ない。
それに加え、自分の狭い考えから脱せず何か解決したい問題が出た時も、多方面から色々な考えを取り入れて落とし所を探り、全体に最も良い策を新しく創り出していくとかいう事が出来ない人が非常に多いです。
さて、エッセイとはなんでしょう?
エッセイとは、自由な形式で書く文章の事ですが一般的に教育機関や試験などでは自分の意見について、簡単にいえば
“あなたは、〇〇について賛成ですか反対ですか?”
というように、自分の立ち位置を求めてそれについて論理的に説得させる文章を書かせる物が多いです。
一方で、日本では読書感想文を筆頭としどう感じているかの文章を書かされている事が殆ど。これは、好き嫌いや気持ちがベースです。
感想文ばかり繰り返しトレーニングされている。尚且つ、意識していなければ様々な人が違った意見を持つ中で案を決め創り上げるためのトレーニングを積んでいない人が日本には多いので慣れていない人が多い。
それなので、いくら英語を正確に書けたって的外れな文章を書いて論述が弱い人が多いです。
だから、一般的にエッセイを評価されにくい日本人が多いです。
言い換えるとディベート出来る人が非常に少ない環境といえます。
これは英語力の問題とは別で、感想と意見は違うという事を理解するという事が出来ていないという事です。
某有名人が言う、
「それってあなたの感想ですよね?」
という人が多いんです。
まあ、ひろゆきさんが面白い事言ってるように聞こえる時点でかなり日本は特殊な環境なんです。
私から言わせたら、彼は当たり前の事をただ言ってるだけで論破とか言われてウケているだけですね。
“意見ではなくて、だったら好き嫌いの話だからそれは自由だよね。勝手にすれば??じゃあ私も好きにさせてもらうわ。話し合いじゃなくね!?”
という事なんです。
勝手に言ってるだけで、建設的会話ではない。そういう意味。
そういう人に限って、意見交換をしたい人が現れると相手が押し付けてこようとしていると勘違いする。自分が感情論から物を言っているからです。
だけどそういう人達が悪い訳ではない。日本の教育の欠陥の問題です。感想言う事ばかり刷り込まれて意見交換する方法を習ってないんだから慣れの問題なんですよ。
社会に悪い事でも、多数決でどうにでもなってしまう悪循環が生まれ易いから、組織的には衰退化に向かい易いです。
私は誰もやった事がない方法を探し出して、みんなで落とし所を見つけるというような経験をした事が何度かあります。
そして、全体にプロジェクトが良い方向に向かうにはどうしたらいいか案を見つけた場合はどう説得したら良いか?その逆で反対意見の立場の人から探ったら何か発見があり強化出来るかと毎日習慣のように取り組んできた事があり訓練されたともいえます。
ただ、自分から敢えて飛び込む人の方が少なく用意された道だけ辿っている人はこういう事に慣れていない。
私は、良く恐怖心がないねとか当時言われ続けてきましたし、気にしていないだけでひょっとしたら今でも側から見れば思われているのかもしれません 笑。
誰も正解が分からない方法を見つけるとか、新しく事業を創るときはあらゆる考え方や可能性を考えて軌道修正しなければ脆くなってしまいます。
自分の意見でさえ疑い相手の意見を聞く、そして妥協案を探す。そして、その逆も行わないといけません。
そして全体において正しいと考えたら、それが説得力のあるものか自分で精査し説明できなければ嘘ともいえます。
そこで、意見とは何か?
エッセイの書き方は非常に役に立ちます。
自分がA案に賛成としましょう。
その場合、どうしてA案に賛成か。それを進めるとどんな利点があるのかそしてそれだけではない悪い所はないのかをしっかり判断します。
そして利点と悪い部分を天秤にかけ利点が多い場合そちらを良しに出来るなと判断する。
しかし、必ず反対の人もいます。
反対意見もしっかり考えて無視してはいけません。その人の身になってどうして反対しているのかじっくり考えます。反対要素を聞ける場合はきく、そしてあらゆる可能性をあげていきます。
そして反対意見の人も自分の意見を判断した時と同じようにじっくり良い部分と悪い部分のどちらが多いか考えます。そして利点が多いと思う場合よしとする。
例えば、自分がA案に賛成だからAとする。反対の人はA×とすると、
Aの中で利点が多い場合はAを押す。ダメな部分が多い時はそう心に留めます。
そしてA×でも同じ事をする。
そうなると、AでもA×でも良い所と悪い所が出てきますよね。
AもA×も悪い所が多ければ他に何か案はないのかと探すか、どちらが全体に於いてまだマシかと考えます。
双方ともに良い部分の方が多い場合、その意見二つを合わせて新しい案を創る可能性が出来ます。
または現状維持の方がマシの場合もあるかもしれません。
それに加えてどちらが実現可能性が高いかを加味して(実現不可能なら悪い所ともいえますけどね)Aを賛成にするか反対にするかを決めるのも重要。
これこそ建設的なコミュニケーションになる訳で、良い意見交換となります。
こういう物の考え方が出来ていればエッセイもディベートも簡単です。
この案に賛成ですか?反対ですか?という問題がきたら自分の感情(感想)から一旦切り離して、案に賛成の立場と反対の立場両方になり良い所、悪い所を上げていきます。
そしてどちらが全体に於いて正しいか間違っているか判断して自分が賛成意見の方についたほうが論じやすいか反対意見の方についたほうが論じやすいかでどちらについてのエッセイについて書くか決めていきます。
こうなってくると、意見とは感情と違い好き嫌いではない事が分かると思います。
エッセイの書き方とかいう前に、この視点を身につける事が大事。
意見は感想と違うと認識することがスタートです。
良く反対意見を言われると自分を否定されたかのように感じ怒る人が多いのは常に感情ベースだからです。
批判してもその人が嫌いな訳ではないし、全否定している訳でもない。そういう事です。
意見と感想がごちゃごちゃな人が多いのは意見交換が出来なく閉鎖的で閉ざされた環境になりやすいから非常に問題。
意見と感想は違うという視点がもう少し広がれば良いのになと思っています。
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考え方のヒントみたいな事、沢山書いてますー