米国人が衝撃を受けた豪州の教育の違い
私は、オーストラリアに9年以上滞在した過程でアメリカ人にも会いました。
会計学を勉強する為に、入学したTAFEと呼ばれる職業専門学校や大学にはそんなに多くありませんが米国籍を持つ学生もいました。そして数人ですが、一緒にグループで提出すべき課題いわゆる“グループアサイメント”をこなしたこともあります。
本当の性格は様々とは思いますが、彼らの人と接する際の特徴は非常に外向的で、ジョークを言ったり明るい振る舞いをしていました。そして、意見を言う事を習慣づけている人ばかりでした。
この彼等の特徴は、授業やゼミでも活かせれています。
しかし、まだオーストラリアに慣れていないアメリカ人の場合は非常にカルチャーショックを受けているように見えました。
あからさまに表情や動作に表れている人も何人かいたからです。
それは、米国と英国領ベースの豪州には大きな授業のスタイルの違いがある事が起因しています。
アメリカ人は授業やゼミでは、自分が答えを分かっていれば我先にと手を挙げ自分の有能さをアピールしようとする人が多いとの事でした。そして、彼等の行動を見ていると分かるのは、疑問点がある場合、時として先生が話していてもその場で手を挙げ質問する姿勢も見受けられます。
面白いのは、先生がざっくばらんな性格をして砕けた口調で話す人と分かるとフレンドリーさを発揮して一緒にジョークを飛ばす人も見ました。
とても積極的なコミュニケーションの姿勢な訳です。
しかし、これをオーストラリアでやってしまうとなんとも言えない空気が流れている事も多かった。
オーストラリアでは、授業中はあまり発言しようとしない受け身で聞くだけの生徒も非常に多いんです。だから、アメリカ人はその中でめちゃくちゃ浮いてしまう。戸惑いの雰囲気を感じる場面は何度もありました。
これは裏を返せば、授業をやったりゼミを主催する側でも同じです。彼等が、米国ルーツの場合に生徒と同じ空間を共有しエンゲージメント率を上げるよう頑張り砕けた姿勢でジョークを飛ばしたり質問したりしてもすぐに良い反応が返ってきません。
そして、
「みんなどうしちゃったの!返事は!」
「私の言ってること分かってる?反応して!」
と口に出したりします。
そして、知らず知らずのうちに一方通行に変更し出し融通が効く先生だと
「オンラインで良いよね。同じだから。それにメールとかのが質問来るだろうし。別に来なくてもいいよ!」
みたいになっていきます。
そして気づけば、授業やゼミとは名ばかり質問したい人だけが来る数名しかいない場が開催されます笑
英語圏でもこれだけ、アメリカ人と英国ルーツのイギリス人などで構成されてきた歴史を持つオーストラリアでは全く授業参加の方法が違うんです。
アメリカでは授業に出席してどれだけ参加するかが非常に重要とされている。教えている側もなるべく生徒との垣根を取り払おうとする。発言しやすくする為に。。
ただオーストラリアではそんなに積極的エンゲージメントがある授業はアメリカほどない。アメリカ人はとても楽だと言っていました。その反面、行く意味あるか?とも思っているようでした。
教師がなるべく発言させようと努力しても豪州出身者には米国人が例え“いい感じにクラスを進めている先生”という印象を持っていたとしても逆に“鬱陶しい面倒臭い先生”とか“明るすぎてキツい”みたいに思われる。
所変わればこんなに違うわけです。
そして中にはグチグチと皮肉を言い、
「奴らはアメリカ人だから浮いてるよね。寒いよね。」
とか言う。実際に聞きました。差別思考です。
イギリス人の伝統や自分達の慣習を重視し他を許容できない寛容性のなさが遺憾なく発揮されている面も大きい。
カリキュラムには積極的参加を求めるよう書かれていても、批判してやる気がなければ機能しないんです。ここが平均的英国人気質の欠点でしょう。
とは、言え日本と比べればオーストラリアの教育は質問されればはっきりと意見を言い。分からない事があればその場で解決して質問したりしないと大変な事になるのは事実です。
日本よりは、授業に参加する為に準備してゼミではその場で消化して質問点を明確にしないと範囲が多い詰め込み教育なので大変な事になる事実は米国と変わらないでしょう。
ただ、あまりストレートにその姿勢を見せない事が許されるという事です。サボっていても評価に直接授業態度が反映されない為に、楽はできてしまうんです。
体力がない人にはひょっとしたら良い仕組みかもしれません。特に大学では授業の出席が重視されないと言う意味では。。。寝ていてもいいわけだし、、ただ自己管理しないとついてけなくてえらい事になるよという話です。
英国人気質でグチグチ皮肉言ってる人で卒業できている人は何人いるのか?多くはありません笑
ただ私が専攻していたのは会計学で、ビジネスや経営そしてマーケティングも必須科目でした。会計などの方法論を用いたものでは、積極的な参加は強制されないのですが、それらのビジネス、経営、マーケティングに付随する科目では、出席や積極的参加も評価基準でした。
国際感覚としては、発言を外向きに分かりやすくクリアにいう。そして、積極的に参加する姿勢は必須といえるのが理由。カリキュラムに明記されています。そして、相手の様子を見て自分から関わっていく姿勢は大変重要とも…
自分達の方法論しか正解と思わず建設的な意見交換を行わない。そんな集団はこのグローバル視点を持っていく必要がある時代には非常に脆い面もある訳です。多様性ある人と関わる必要ありますからね。
私が米国人を見て感じたのは、カルチャーショックにあってもめげない姿勢を見せる強さや空気を読んで、環境に溶け込む姿です。
知性がある層は、非常に論理的思考や外に発信する姿勢を内に持ちながらも、その反面非常に環境に順応していました。
いくつかのイノベーションを起こしてきた国の底力で見習うべき点。
イギリス領である偏屈な人も多いオーストラリアという国でも空気を読み、周りに溶け込み発言やジョークを控える事を学びます。ですが、いざプレゼンやディベートをする時はその実力は発揮される。
優秀な層は柔軟性や振り幅が非常に広い。
裏を返せば、同調圧力有ればアメリカ人も合わせる事はしているという事です。
勘違いしている人が多いので書いておきたいですが、何も日本人だけが同調圧力持ってる訳ではないということ。
だけれども、「個」を見失う人はうんと少ないですよ。それに意見を持ちいざという時は発言するんです。見習うべき点です。
こういう姿勢は、真のコミュニケーションを取る上で非常に大事。
自己を保ち、本質を論理的思考で見抜きながら周りを見て操るという姿勢です。
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