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「とりあえず生で」の精神

もう今は、ちょっと古い価値観かもしれませんが、飲み会が開始される際の「とりあえず生で」の台詞。私は嫌いでした。

こういうカルチャーの職場とか組織に関わった事がない人に説明すると、「とりあえず生で」は“飲みの最初は生ビールだよね!”のようなニュアンスを持った意味です。

私がこれ嫌いだった理由は、最初は生ビールであるべきと決めつけられているような気分になるからです。

“そんな訳ないじゃん!気のせいやろ!”と思う人もいるかもしれませんが、実際他の飲み物が良いと言ったりすると、明らかに驚かれたり、“なんで?”と不思議がられたりした経験が多かったからです。

こういう反応をするのは、上の世代だけではなく私と同年代または年下の世代でもそういう人はいました。
中には、「えっ!その他を飲んでも良いとか考えた事なかった!」と言う人まで。

私はこういう空気にすごく違和感があります。

私は、お酒飲むの好きなんですけど、ビールは銘柄によっては、下痢になったり頭痛がする場合があるから良く分からない場合は避けることにしています。正直、メーカーや種類によってはまずいのもあるし…。味の好みは人それぞれ。

あまりに面倒くさい対応をされる場合があるので、最初からビールは飲めない設定してた事もあります。本当は好きなんですけどね。

しかし、私がオーストラリアに行ってから、飲みの席で“必ず最初はこのお酒だよね!”みたいな空気になったことは一度もありませんでした。

主催側がお酒を準備してる際でも、「お酒、これで良い?それとも他も準備できるけどどうする?」みたいに聞かれることの方が多い。それに、当然とばかりに言われたことはないんです。

それに、「何を選ぶの?どんなのが好きなの?どれが飲みたいの?」と最初から相手に聞く姿勢がある人が殆どで私はすごくその環境が好きでした。

これは、「とりあえず生で」だけの話じゃない。ひとつの例なんです。

これが“当たり前”という精神が日本人より薄い人が多いという話です。

だから、相手にとても良く質問します。そして自分の気持ちも言います。相手が何を望んでいるのか?の情報を交換するためです。

みんながやってるから、みんながこれを好きだと言うから、今これが流行ってるから…。

そんな背景から、自分の気持ちを自然にコントロールしていないかを胸に手を当てて考えてみてほしいんです。

みんなや相手がそう言ってても、

それに合わせたいのか合わせたくないのか?

自分の気持ちと違うとして、敢えて合わせたいか合わせたくないのか?

その選んだ選択肢はどんな理由からなのか?

ここまで考える事の意味は大きいです。

そういう習慣がないと、いろいろ聞かれた時に頭が固まり返事できないし言葉が出てこないです。

これ英語力の問題じゃないんですよ。
思考の癖なんです。
いくら知識を詰め込んだって対応は難しいです。

「とりあえず生で」の精神性はひとつの例で、あちらこちらにある訳です。

それを疑うことから始めた方が良い人も多いです。

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