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英文法の知識と英会話力
日本は、義務教育の英語で英文法を中心に教えています。
わたしは、小学校と中学校は地元の公立に通い、高校と大学は受験しました。
だから、割と真面目に英文法に取り組んできた部類の人間になります。
それでも、オーストラリアに滞在し始めてすぐは自分が言いたい事がスムーズに出てこない時が度々ありました。
到着して1週間ほど経って通い始めた、語学学校。
入学した後のクラス分けテストでも、スピーキングテストで思ったようには喋れませんでした。それなので自分の予想よりは、下のクラスに入ってしまいちょっと悔しかったです。
それでクラスの時間。知っている英文法ばかり取り扱われ時間もとられるのであまり面白さは感じられませんでした。
その一方で他国から来た子達は、非常に苦労している人も多かった。一部の韓国人は割とできましたが、それでも少数派。
どうしてこんな基本的な事が分からない人達と同じクラスなんだろう。
だけど何か理由があるに違いない、それで周りを観察してみて分かったのは前にも書いた様に、私は周りより沢山喋っていなくて静かだった事です。私自身が日本語でもどう反応したら良いかわからない事が多いし、言葉が出なかったんです。
これは英文法の知識レベルと英会話力が明確に比例していない事の証明です。
例えば、“もし〜だったら、〜するだろう”というような仮定法と呼ばれる英文法。
これは真面目に勉強してこなかった人には、サッパリ分からないものですが、知識として知っている人にはルールがあるからただそこに当てはめるワンパターンなだけでそんなに大した事ではありません。
でも上級クラスの教科書を使うクラスでさえ、全く分からない人がかなり沢山います。と、いうよりはルールをちゃんと知らない人が多い。
だけど、そういう人でも極端な例では、社会問題について思う事を違和感なく話せたり議論したりできる人を沢山見たんです。
そういう事からも、英文法をそんなに知らなくても英会話力には直結しないなとすごく思いました。
オーストラリア滞在し始めてすぐから通った語学学校ではもう一つ発見がありました。
そこには、ビギナークラスというクラスが急遽設けられました。
ここには、なんとアルファベットや挨拶すら怪しい人達が集められていたんです。
(よくそんなんで、見知らぬ土地に来ようと思うな。。マジか、狂ってるやろ。。。
とか色々感じましたが、その話はここでのテーマじゃないのでここでは省きます。)
彼等のクラスはベテランの先生が取り仕切っていましたが、不思議なことにいつもパーティーのように大きな音が漏れて響きわたっていました。。
笑い声と奇声もします。
その響いてくる音の振動が、語学学校の文法授業が退屈で寝落ちしていた私を何度か起こしてくれたのはいうまでもありません。
私のクラスで、
「あのクラスはいつもうるさくて楽しそうだけど、何やってるの?」
とたずねた子がいました。
すると先生が、
「あー、歌ったり踊ったりしてパーティーしてるよ!音に合わせて感じて、体を動かしたりもしてる。」
「アルファベット当てゲームしてるのも見たことあるなあ」
そう答えました。
それで、どんな状態か内緒でちょっと見に行ってみようかということに。。。
先生と、先生のワンちゃんも参加して色んな曲をBGMにみんなで踊っている最中でした。
えっ!?
私は混乱しました。。。
ここは学校だろ、ふざけんなよ 笑。
最初はそう思ったんです。
ある日たまたまそのダンスフロアーの閉店と私のクラスの終了が同じくらいになり、私がその“クラブ”の入り口が開け放された瞬間にそこを横切る運びとなりました。
みんなすごく仲が良くて、お喋りが弾んでいます。。
数日前には、アルファベットさえ分からなかった子達がです。
聞こえてくる内容はとっちらかっていたけれどなんとなくは話はわかります。
ま、全部は分かるわけないんだけど見てるとすごく仲良さそうで楽しそうでした。
音のメロディーやリズム、それを感じ入る事はいかに偉大で素晴らしい事なのか。
彼等からは、覚えたての英単語が操られ溢れ出ています。
仲良くなった人に伝えたいからですよね。
私はそれ見ていて、なんか嫌になりました。
こいつら、ふざけんなよって。。。
ちょっと嫉妬しました
私がバカみたいに苦労して暗記したりして、それでも今苦しんでいる本質的な事を彼等はゲラゲラ笑いながら楽しみながら気付かないうちに突破している。
それは、英文法を私が真面目に取り組んできた時間とは比べ物にならないくらい短いのです。
自分が否定された気がしたから、ふざけんなよと思っちゃったんですよね。
なんと幼稚でバカみたいなんだろう。自分で自分にツッコミました。
そこで私は気づいたんです。
別に真面目にばかり取り組んでいたって、それが正解じゃない事もあるな。
日本の教育がいけない、おかしいとか思いながら気付かないうちにそれに取り組まれ正当化していた自分は大バカで、意識を変えない囚われっぱなしで嘆くのは筋違いだと。
彼等の楽しそうな姿を見て気付いた私は、なかなか時間はかかりましたが、
文法を考えずにともかく口に出す。
伝えたい思いを前に出す。
を意識的に続けました。
最初は、違和感あったけど
“伝えたい”
その気持ちを前に出す事を繰り返したら、それは無意識に変わりました。
そのくらいからかな。。。
細かい文法の間違えとかは、ほんとにどうでもよくなってきた。
それから、嘘のように英語が喋れるようになってきたんです。
どう聞こえるか
間違えたら恥ずかしい
正確に英語を使わなきゃ
そういう真面目ちゃん気質が私の言葉を発する動機にストップをかけていた。
細かい文法ばかり気にしていては、伝えたいという原動力まで忘れかねない。
それに英語も音なんだから、リズムや強弱を感じる事が必要なんです。
文法力は大事だけれど、何事もバランスです。言語の本質は忘れてはいけません。
英語は音なんだよ
言葉は気持ちを伝えるものなんだよ
話はそれからじゃないか
ー
いろいろ書いています。ぜひ読んでください!