ノート取るな!!の真意
オーストラリア滞在中に、私が通った英語学校では会った日本人生徒はほぼ「ノート取るな!!」というような事を先生からしょっちゅう指摘されてる人ばかりでした。
中には、とても激しく言っている先生もいた。
この真意はどこにあるのだろうと考えてみる事は大切と思います。
事実として、日本人生徒の傾向はノートに先生がホワイトボードに書いたことを細かく写す人が多かったのは確かです。
私のクラスは、そんなに日本人がいない場所が多かったんですけど、休み時間や帰宅時に日本人同士で愚痴を大きな声で言ってる人をまあよく見ました。
せっかく書き写そうとしてるのに、注意されたのが気分悪かったのだと思います。
そういう私も、日本人ってだけで面白い表現があったのでメモしようとしたら怒られて尚且つ消されたこともあります。だから、イラつくのもムカつくのも理解できます。
けど、なんでそういう風に言うのか少しは想像してみるべきとも思います。
最初から「書く」という動作を重要に思っているからこそ、注意されると気に触るのだろうと少しは考えることが大事なのかなと…。
私は、書いていた時に消されたので「まだ書いているんだけど…」と言った事があります。
その時、その先生は
「日本人はすぐに書こうとする。そして、ずっとノートを見ている。私の方を見もしないし、しっかり聞いてもいない。」
というような事を言いました。
そして、
「ほとんどの日本人に欠けている部分は、聞くことや声に出すこと、相手の様子をちゃんと見ること。だから、そちらを重視しなさい。」
というような事も言いました。
確かに、書くことをあまりに重要視しすぎると言語を話す時の先生の動作や、話している音のイントネーションへの意識が少し減るというのは事実です。
そしてちょっと冷静に考えてみました。今世の中にある表現などは別にみんなが集うクラスじゃなくても見つけられるものです。
それ以外の部分の方が大事なのではと…。
準備されたカリキュラムを真面目にこなす教育が正解なのだろうか…。
私のクラスメイト達は、クラスでテーマになった題材で議論とかになっても、気づいたら違うテーマの話にずれたりして乱すことも多々ありました。
そして、横道にそれていくときも多かった。
最初は正直、“なんやこいつらは”ってちょっと思い腹立ったりしたこともあった。
彼らは典型的ノートを取らない生徒達です。
しかし、この先生が言ったように“聞くことや声に出すこと、相手の様子をちゃんと見ること。”は多くの日本人よりとても上手だった。
人と話すという点では、とても上手になっていっていたし、いろんな価値観を身につけていっていた。
まあそういう人達は、ちゃんとノートを取るように、そして勉強するように言われていたんですけどね 笑。
良く人を見て言ってるんだな。そして人によって変えてるんだなと非常に私は感心しました。
人によって不足してる部分は違っているのに、“みんながこうすべきだ!”みたいな決めつけは非常に変なことだなとすごく思うんです。
英語を書けるようになるだけだったら、ずっと書くだけやってればいいと思います。
けど、それだけじゃおかしいですよ。
書くだけでは通じない。
いろんなコミュニケーション方式の人や考え方の人がいると理解できなければ、うまく書けない。伝えられないですよ。
自分が今まで取ってきたコミュニケーション方式が、全ての人に通じると思ったらそれは絶対に有り得ない訳です。
コミュニケーションスキルは、周りを見て聞いて吸収すればするほど磨かれるんです。
それは書いた文章でもそう。
全てに繋がってくる。
英語を書いても、英語圏の人に伝わらない場合がある。言い換えれば、英語を読めても意味を理解できない人がいる。書いた人の意味を取れない人がいる。
それは自分と違うものであればあるほど理解できないことと同義と思います。
これって英単語や表現を書き写すだけでは、磨かれない部分なんです。
語彙力はもちろん大事だけど、英語はコミュニケーションをとるためのものだから、それが最重要と考えちゃってたら凄い変な話でしょう。
ノート取るな!!って言われた方が、ある意味正解の人も多いのは事実でしょう。
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