間違えを消すのは何故?
皆さん、どうして消しゴムを使うのか考えた事がありますか?
もちろん、間違えを消すためですよね。じゃあ、間違いを消すのは何故でしょう?
ノートは綺麗に書いた方が、後から見やすいから良いのではという意見。
見やすさだけで言えば、正解かもしれませんが果たして学習効率はどうでしょうか?
本来、書くという作業はアウトプットです。インプットではありません。目で見たものや聞いたこと覚えたことを、脳が処理し指令を出し手を動かす動作なんです。
アウトプットした動作を消してしまうのは常識ではない。
消しゴムを使わなければ、寧ろ無駄な動作が減るし、どの部分を間違えたか可視化できる事にもなると気付いた事がありました。
色々な国から来たクラスメイトに会って、彼らの学習様式を見ているうちに。。。
私がオーストラリアで初めて語学学校に入学した時、周りのクラスメイト達はあまり消しゴムを使いませんでした。ペンで書く人も多かったです。
私の机の上だけ、消しゴムのカスがすごく多かった。理由を考えてみたら、日本の教育で身についた今までの習慣の癖だっただけでさほど意味はないかもと思うようになりました。
後からノートを見直すとは言っても、本来なら学習していればその時その時で知識がアップデートされるはずです。だから、例えば今書いたメモが未来までずっと見たい情報である可能性は限りなく低いと思います。
だから、ひょっとすればノートを取る動作自体。必要ではないのかもしれません。
もし必要であるとしたら、よく間違える部分や失敗した部分は見直したくなる確率が多いと考えられます。
例えば、これを英語学習で考えてみましょう。
覚えた英文法や英単語を書く時に間違えてしまったとします。間違えた部分を消しゴムで消すと、ノートを書いていた時に間違えたという事実が消える事になります。
日本語も使って説明を書きますね。ちょっと、脱字や変な書き方をしたとします。それはさっきも説明したとうり、無意識下のアウトプットなんです。それがちゃんと可視化された。
自分の傾向がノートに表されている訳です。消しゴムで消すまでは、、個性を持ったノートになっています。
それが全て綺麗に整えられてしまう。
別にそれに対してなんとなく気分が良くなったとしても理由はありません。
あり得るとしたら、綺麗で見やすくて気分が良いからですね。。。
もっと突き詰めて考えてみてください。
なぜ綺麗なノートが見やすくて、気分が良いのですか?
理由はなんですか?
気分が良ければ学習は捗るかもしれません。
しかし効率面ではどうですか?
綺麗に書く事、消しゴムで消す事に時間を使う。そして、自分オリジナルのノートとしての個性(間違得た箇所)が減る。
それは果たして良い事なのでしょうか?
世界には、消しゴムを使わない教育方法を常識としている国もあります。
そういった国では、間違った所はそのままにして見えるようにしている。
そっちの方が、当たり前で良いノートの取り方とされているんです。
私は、人の感情面は考え方で変わる。なので、今思っている事はひょっとしたら本当に自分が思っている事なのか幻想なのか分からない。そういう事さえ多いと考えています。
以外と私達、日本人が常識と捉えている事は、ある国では非常識になり、またそれは一人一人違う可能性だってあり得ます。
それに環境やその人によって違います。
常識なんてものは、そのくらい曖昧な事。
この消しゴムやノートを取る事とか些細な事でさえそう。
私が消しゴムの多用について考えた事は、綺麗なノートにする事は目的ではなく、学習のためなんだから本末転倒だよなと思った事。
あとは、間違った部分を消すデメリットについて。
消すよりも、寧ろゴチャっとした方が目立って目についていいし気を遣わなくていいなと私は思っています。
どうして消しゴムを使うのか、多用する事のデメリットについても考えてみて下さい。
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オーストラリアにいた時に感じた事をはてなブログにも書いていたので、こちらもどうぞ。
クラスメイトの描写など詳しく書いてある部分もあります!
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