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勉強の弊害考えた事ありますか?

英語力を向上させたいと思っていると、

“さて!英語勉強頑張るぞ!”

と意気込む人も多いと思います。

そういう人に問いたい。勉強ってそんなにいい事ですか?って。。。

私は何故そんなに“勉強!”と気合いを入れる人が多いのかいつも不思議です。それに私自身勉強という言葉は嫌いです。

私は多くの人が、“英語を勉強しなければ”と思い意識する。その事こそが、英語習得へのハードルを上げていると考えています。

もしも勉強のイメージが、特別に環境や教材を準備して少し身を引き締めながら行うものと自然と思ってしまうのであれば、それは果たしていい事なのだろうか?と私は思うのです。

日本の教育は、本質的に富国強兵時代の頃から大きく変化しておらず、既存の価値観や決まった事柄を暗記させそれを適切に憶えているか確かめるという域から出ていません。

勉強しないと!とか思う人は割と真面目な人が多いので、疑問を抱かなければこの日本教育の性質が染み付いている場合が多いと考えます。

で、有ればその途端に英語勉強は机やテキストに向かいそして暗記するという作業的なものに知らないうちに変化してしまいます。

こうなってしまっている時点で、“勉強”は特別に向かい合い一定のルールを記憶していくものとなります。

そもそも富国強兵とは何か?
明治政府が設定した、ヨーロッパを手本にした軍人を増強する為の教育です。

命令されればそれを忠実に疑問を持たず従う

それを目指していました。

それがずっと本質的に変わっていないのが日本の教育となります。

その雰囲気と勉強が無意識のうちにリンクしているからこそ、強制されているようなものを感じ取り一種の“義務”のような気持ちが湧き上がるのではと、、考えた事ありますか?

だから辛くなったり勉強が嫌いとなりやすい。
あなたは何となく感じ取っているのかもしれません。

これでもまだあなたは“勉強”がいいと思うのですか?
何故いいのですか?

と問いてみたい。

本当に心から“勉強する事”に弊害はないのか?と。。。

勉強を頑張る!とか力が入っているけど、人はずっと頑張っていてはもちません。そんな態度は正解なのか?と

勉強を語源から見ても色々な意味に取ることができます。

ただもしもそれが、無理をつらぬいて強くするという意味合いが強くなってしまったのなら、、

勉強を頑張るというのは、我を張って無理を貫き強くするという意味に変わってしまう。

学びの本質とはなんだろうか?

知りたい事があって楽しくて夢中になってのめり込んだら知らないうちにできるようになっていた。

知らない事が分かってすごく面白かった。もっと知りたいと興味を持ちそこから見える世界が変わった。

やってみるうちに、その奥深さに気づいた。もっとやってみるうちに出来るようになってきてそれにより自分の引き出しが自然と増えた。

それこそが、学びであるはずだと思う。

机に向かう時間を作りテキストを広げ眉間に皺を寄せておぼえこんでいく。

それが勉強だとしたら、それは学びではない。
私はそれは変な事だと思っている。

何故そんな勉強が好きなのか。。。
わざわざ勉強を頑張るとか意識して気合いを入れるのは何故か?

その何故を考えて欲しい。

おかしい部分がないか考えるのは必要だ。
勉強する事が弊害になっている人がどれだけいるんだろうか。

学びは知らなかった事が分かるようになり楽しいものだ。そして見える世界が変わるものだ。

そして辛いものでもなければ、机に向かう事でもないはずなんだ。

私はこういう事を若い頃からずっと考えてきたので、受験はうんこと思ってきた。だからやりたくなかったけど理解されなかった。日本の大学に行く意味も分からなかった。その結果、人とは違う経験の方を選んできてそれしか興味がなくそれに集中した。

一部の少数は分かってくれたが、どれだけ多数の人に白い目で見られたか分からない。

だけどその違った経験は今でも私の宝となっている。他の人には苦労に見えたかもしれないが自分は全くそう思っていないし誇りに思っている。

だから勉強を頑張る事の弊害を考えて欲しい。私にとっての一般的に考えられる日本の勉強はただのカスだった事がうんと多かったから。

興味ある事を本やネットで自発的に調べる。習った事が“何故”そうなっているのか考える。

今ある事をおぼえこむ事は勉強ではなくただの暗記。機械でも出来るじゃないか。いやその方が正確な場合も多そうだ。暗記人間で“何故”も考えない人は低性能のロボットと言わざるおえない。

私はオーストラリアの大学に通ったが、テストは教科書持ち込みがOKのものも多かった。憶える事よりも、どうしてその答えが出るかが大事とされている。あとはカンニングペーパーもOKである教科も多い。1枚の紙に上手くまとめる事も勉強と思っているからだ。

とてつもない、詰め込み教育(ここでは短期間に多数の項目を速いスピードで習う意をいう)だがその一方で暗記する事にはそこまで重きを置いていない。

内容が真に理解できていなければ、いくら教科書やカンニングペーパーがあっても落大してしまう。暗記だけでは到底無理。

やっているうちに憶えるというのと、意識的に暗記する事の違いだ。

日本の教育の異常さが際立っていると言わざるおえないと思ってしまう。

英語を頑張って勉強しよう!

と思う人は一度胸に手を当てて考えてみて欲しい。
それにおいての弊害を。。。

なんか違う音だな?面白い!繰り返してみよう!

なるほど!国違うとこんな事あるんだな!どうやって会話してるんだろう。へーこんな時はこう言うんだ。。。ちょっと真似してみよう。

目の前にいる人と話してみたいな。取り敢えず知ってる言葉で声かけてみよう。

上手く通じていなかった。どうすれば分かりやすくなるのかな?

ここの書き方面白いな。どんな意味なんだろう。調べてみよう。

こんな興味や楽しさ面白さの積み重ねが真の学び。それでなければ勉強ではないのではないだろうか。

そしてそれがゴールではなく、それを入り口として多様な考え方や視点を得て自分の次につなげていく。

それこそが学びでなければ全て嘘と思っている。

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