価値観の決めつけについて
日本に帰国してすごく感じることは、他人の好き嫌い(好み)についてを自分基準のみで勝手に判断して相手もそれを喜ぶと勘違いしている人の多さです。
もちろん、自分の感覚と同じ人もいるのは当たり前だし、そういう時はそれで問題ないんですよ。だけど、必ず相手もそうであるという思い込みは全くずれていると思わざるおえない。
ともかく、たずねなければ分からないはずなのに、知らず知らずにメディアの影響を受けている人がいかに多いかという話。
現在、日本のテレビでは日本の食べ物や文化が素晴らしいからそれに外国人が興味を持っていて来日したり、それに惚れ込んで住んでいるという内容のものが放送されています。
その影響からか、私も帰国してから
「外国人が感動しているのをTVで観た。」
「外国では、とても味わえないものだから恋しかったでしょう。」
「日本にいなければこんな特別なものを味わえないもんね。かわいそうに…(←!?)食べさせてあげよう」
とかたずねられることもなしに、もてなしをしようとする人に会ったことがあります。
TVはね、広告主がいるから宣伝する要素もあるんだけどな…。なぜ、マーケターでない人まで感化されるのかなと、、
気持ちはありがたいし、嬉しいのですが。別に特別めちゃくちゃ恋しかったものでない場合もあるし、向こうのテンションに正直微妙に引くこともありました。
日本の“これ”は外国人の人が必ず褒め称えるものだ。と価値観の決めつけをしているのではないかということもすごく気になりました。
そういう人がいると、私は
「外国人でも日本の文化にそれほどまでに興味持ってる人はそんなに多くないよ?もし文化に興味持っててもみんなが好きなわけないし、どうしてそう思うの?」
と聞く事にしています。
すると、
「TVで外国人が日本の〇〇は素晴らしい!と感動してたよ!!」
みたいな感じに返事が返ってくる事の多さ。
「それは、たまたまその外国人の舌とか感覚にあってただけでたまたまその人がそれを好きなだけだよ。日本人でもみんな同じ好みではないし、感覚はみんな違うでしょ?」
と言うとそんな事考えたこともなかったという感じで拍子抜けしたような表情になる人もまあまあいた。
そして、挙句の果てに
「美奈ちゃんは、もしかしてこれ嫌いだった?出されたら迷惑?」
とか勝手に先回りして推測してくる人もいた…。
別に、苦手とか嫌いとか言っているわけではないのに…。
勝手に外国人に対して価値観の決めつけをしているのが気になって言ってるだけで、私の好き嫌いとか美味しい不味いの味覚とは全く別の事を言ってるのにそれを言葉の意味のままとっていないという事なんです。
私は好きだったら好きと言うし、嫌いだったら食べれないと言う。
美味しくなければ言う人間なので全く的外れなんです。
こういうコミュニケーションって、日本人同士だから謎ではないのかもしれないけど、私はすごく違和感あります。昔からそうでした。
日本人でも違和感ある人はいるんだから、これを外国の人にしていたら、めちゃくちゃ意味不明で面倒くさいし通じない人という風になるだろうなと思うんです。
自分が思う事を相手も必ず思っているわけではない。その違いは聞かなきゃ分からないから、そのためにも言葉は便利なはずではないでしょうか?
勝手に自分本位の意味に翻訳して相手の価値観を決めている日本人は結構多いんじゃないかと思います。
私自身、全く自分の言ってる事と違う風に解釈されて嫌な気分になる事は多い。そして、それを言うことさえ不快に思う人もいる…。だけど言わなきゃ全く自分の伝えたい事と違う風に取られるということだし…。
じゃあどうすればいいのかと。
どうやって対話できるんだろうか?
と思うわけです。
そもそも、自分の考え方や感覚を伝えるのは悪いことではありません。
むしろ、自分と異なる人が多い場所(海外など)では話さないと理解もされないし、相手のこともさっぱり分かりません。
それが、海外に行くととてもよく分かります。ちゃんと相手を理解しよう、自分を伝えようという姿勢は間違いでなかったなと思えます。
こちらがいくら相手を理解した上で、自分を伝えたいつもりでも、相手が勝手に自分の感覚のみで価値観の決めつけをする人だと全然話が平衡線。そういう事も日本はすごく多い。と、いうより全然本質的な話はできない。
コミュニケーションしてるつもりにはなってても、コミュ障な人は結構多い国だと感じている。そして、それを自分で認識できていればよいがそれさえ気づいていない人も多いのではと思ってしまう。
そのため、英語とか異文化コミュニケーション以前に、価値観の決めつけを知らず知らずにしていないかどうか見直したほうがいい日本人は多いと私は思います。