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環境による違いの無視

よく誰かが海外の話をする時に、聞き手はどんな風に受け取るんだろうか?と思ってしまう事がある。
発信してる人は、どうしたって自分の経験や知識内の中から話をする。だから、全ての日本以外の地域について話してる訳ではないんですよね。

けど、聞き手側が自分が思い描いた場所の海外に勝手に当てはめてしまうという現象がしばしば起こる。これって、環境による違いの無視に繋がっている。
それだけじゃなくて、正確な情報が伝わりにくくなり誤解まで起こる。

海外のイメージを固定化しすぎていないかと問いたい。

これ、語学に関してもそうだと思う。

「日本ではこうやって習うけど、海外ではその表現使わない」

をそのまま受け取ると、

あー。海外では日本で習うこの表現使わないんだな…みたいに思ってしまう。

そして、例えば
「この表現は、ネーティブがよく使う表現」も、

そのまま受け取ってしまい

よーし!これを覚えとけば便利でネーティブとスムーズに話せそう!

と意気込んで背景を考えず、状況をよく見ずに使うとあれれ!?と思ってしまう場面に遭遇するかもしれない。

これは、地域性や、集まっている人の属性によりどんな言語が多く話されているかが大きく異なるから起こってしまう事実。
相手の職業、元々のその人の先祖のルーツ、どんな事が好みか、そして会話する場所などなど…で大きく言語の表現方法は異なる。よく飛び交う言葉も変わる。

結局は、書籍でも発信でもなんでもネタを分かりやすくするために簡易にスッキリさせているだけ。全て説明できる訳ではないので。

どんな人とどんな状況でどんな雰囲気で、どこで話すのかでどんなコミュニケーションをするかが決まる。

なので、テキストや情報が綺麗にまとまっていていくら分かりやすくても、それを真似て暗記しさえすれば英語が使いこなせるなんて甘え以外の思考でしかないだろう。

それら全て、言語の一部分を切りとっているだけだからひとつの参考という話なのになと。

言語を使いたい人の環境によっていくらでも合う表現は変わる。そしてどう伝えたいか、相手と関わりたいかでも変わってしまう。

これも似た事に思うけど、例えば、アメリカではと言われるとメディアで中心として拡散させる情報であるNYやLAという主要都市の情報を全体として捉えてしまう人がたまにいる。けど、事実アメリカは50州もある。州により思想や法、そして住んでいる人の属性(職業、行動様式、教育レベルなど)が大きく違う。

言葉を考えると、微妙にどこも違う。習慣とかも違うから喋り方も違う。そういう事。

英語を喋るネーティブスピーカーも世界中にいる以上、メディアでよく見るアメリカやイギリスの主要都市で使用されるものだけが英語ではない。地域により大きく異なる場合も珍しくない。

例として、シンガポールでは、シングリッシュがあるしオーストラリアではオージーイングリッシュがある。
イギリスにもオージーイングリッシュに似通ったイングリッシュもある。

その人の状況で言語は大きく変わる。

どこに環境をおくかで変わる違いを無視してしまうと、いちいち分からない。こんな言い方聞いた事がないと場所変わる度に混乱するようになってしまう。

その人にとっての普通な英語表現が、固定化されればされるほどいつもその普通とやらに戸惑い焦ることになるし違和感を抱き慣れにくい。

環境による違いだけで、どんな事でも基準は簡単に変わってしまう。

そんな直ぐに簡単に全ての事が分かるわけもない。色んなものにふれ、少しずつ慣れながら地道に継続し身につけるしか方法はない。

ネーティブ並みに使いこなしたいと思えば、どれだけの時間受け身でなく能動的に英語に親しんだかで結果が変わるシンプルな話。

ただ決して環境による違いを無視して、

これこそが英語!

なんて思わない事。

頭の柔軟性が損なわれ、英語苦手の克服から遠ざかる。

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