映画『フォックスキャッチャー』
今日は、最近観た映画『フォックスキャッチャー』のレビューを書きます。
この映画、実話ベースの話だから特に派手さもなく淡々と進んでいきますが内容がかなり濃くオススメ出来る作品です。
題名のとうり、実在したレスリングチーム「フォックスキャッチャー」に所属する選手マーク・シュルツとその兄デイブ・シュルツ、そしてスポンサーとして彼に出資する有名財閥デュポン社の御曹司ジョン・デュポンを中心に話は進んでいきます。
有名な事なので、知っている人は知っていると思うのですがここで衝撃的な事件が起きます。
この映画の何が優れているかといえば、私達が生きていると切り離せない人との関係性を見せてくれる所。後は、何かに病的に依存してしまう人の精神性について。そして、産まれてきた以上は切り離せない親との関係性です。
よく、親は敬わなければいけないとか決めつける人がいますが、私はそう思っていません。なぜなら、完璧な人は誰もいないからで親であってもそれは同じだからです。
ジョン・デュポンは金には困っていませんが完全に親は毒親です。両親が不仲で離婚していて、母親の精神の未熟さや視野の狭さが彼に向かっています。それでいて、ジョン自身ちゃんとした愛情を感じてこなかった孤独な人で心は満たされておらず精神障害を負っています。
そして、レスリング選手であるマーク・シュルツもレスリングの過去の栄光と強さはあるのですが、それだけで彼を見る人が多く満たされていないんです。例外的に兄は別ですが、幼い頃両親が離婚したジョンにとって唯一の心の拠り所である兄が自分とは別の人生を歩んでいるという寂しさがある。
金はあるけれど心が満たされていないジョンと、栄光があっても常にある寂しさを感じているマークはその点よく似ています。
この映画に出てくる毒親の問題とか、幼少期に親が不仲で苦労したとかいう経験は意外と持っている人も多いのではと思います。そういう精神性が事件に発展してしまったし、それは人として最低な行為なので許されるべきではありません。
真の精神の自立をして、決して何かに依存をしないという事が本当に成長する事だし、その結果がより良い人生に繋がると思います。
この実話は、それが出来なかった事によって起きた悲劇の結末を見せています。
この事件とまではいかなくても、適切な人との繋がりを幼少期に感じてこれなかった場合は、心の傷が残っていてある意味その精神が敏感になっている場合が多い。自分を守るためにそうなるのは当たり前なので。。
それを自覚して、誰1人完璧な人などいない。それは親であっても誰でも同じと認識する事はとても重要。
1人1人がただそこに産まれただけで奇跡だから認められ価値があると思える事が大切。それはいくら親であっても、欠陥が有れば切り離して考えなければいけないそう思います。独立した個人なので。
ジョン・デュポンの言葉で印象的なもので
「人は尊敬できる人がいなければいけない」
との決めつけ発言が私はとても気になりました。
なぜなら個人的な話ですが、私には尊敬できる人がいないからです。人には必ず尊敬できる部分と出来ない部分があり不完全であるからこそ良いと思っているから。。だから、尊敬できる人をパッと挙げられる人が私には理解できないんです。
人の不完全さ、それは親も含めてですが、認め受け入れる事でどれだけ救われてきた事があるか分かりません。尊敬したり依存したりしようものならどうなっていたか分からないと思うことは多いんです。
そして、自分自身も決して出来た人間ではなくダメな部分もある。そして、周りもそう。と考えれば非常に対等に接する事が出来ますし、私はそれを心がけています。これは、自分の生きてきた過程で身に付けてきた事で最も良い方法だと結論づけています。
人が生きていくには、ある種の夢は必要と思っています。後は、それを信じて進んでいく気持ちとか。。。
しかし、それは自分で選ぶべきです。依存はせずに。また、人についていくにしたって自分の直感からくる気持ちを信じて決断しないとダメです。相手に答えを求めたら最悪ですよ。人なんて他者のせいにしますから。。
自分で最終的に選べば自分が納得できる分、幸せなんですよ。だけど、人に依存するとそれが出来ないです。
真の精神の自立をする。そして、それを持って人と接するのが幸せへの道かなあと私は思っています。それに、依存から本当の愛情も生まれないしね。
この『フォックスキャッチャー』を観て人との関わり合い方をもう一度意識的に整理できました。
どうしてもこういう毒親や、家族不機能、人間関係のもつれからくる精神性の異常からくる犯罪は無くならないだろうなあとは思うけれど、少しでも多くの人が真の精神的な自立をしてこういう悲劇が減ってくれたら良いなあ。。