四季がある日本は良い国?
私はオーストラリアに住んでいる間に、「四季がある日本は良い国!」と他国出身者に話す日本人を度々みてきた。
もちろん日本には「春、夏、秋、冬」の四季があるとされていて良い部分であるけど、こう言われた相手はどう感じるのだろうか?
表向きには、
「へー!良いね!」
「Sakura!」
とか反応する人も多くいる。
けれど、日本人以外だって、裏表がありお世辞を言う人は多い。余計な事を言って場を乱すよりは、適当に返事しようみたいな人もいるのだ。
褒めてくれても、大体がそんなに乗りは良くなく、微妙な雰囲気になりあんまり会話は続かないはず。
これはなぜか?
単純に考えが浅いからに他ならない…
冷静になれば、かなり異様なコミュニケーションをとっていると気づくはず。
何故なら、世界にも日本以外に四季がある国はあるし、四季がなかったとしてもそれぞれの季節があってその国の人なりにそれを感じているからだ。
日本の中だけしか見ていない狭い考え方だと、そういうことに気づかなくなってしまいやすい。
ここでは四季のことを書いてるけど、これはひとつの例でどういった事でも気をつけていないと当てはまりやすいと思う。
気がつけば、なんか変なことを言ってしまい周りを戸惑わせるみたいな事になる。
英語圏、特に多民族が寄り集まった国では出身国とか自分の国のルーツをお互いに話す人も多い。
雑談のネタのひとつ
こういう場合は、平均的にはみんな良く喋る。どの国も大きく違う部分がある。だから、説明しないと理解されないと何となくみんな気づいているのだろうと…
だから、例えば「四季」の事ひとつとってもそれがあるから良いと言ったところで説明不足で、
“は?だから何?何が良いのか?”
みたいになる。
日本に四季があって良いのは何故なのか?
それをしっかり言わないことには、別に特別感とかはそんなに分からないって話になる。
言葉が少ないので、あまり理解されない。
向こうからすれば、外国人がお喋りなのではなく日本人が言葉少ななだけ。
四季がある日本が良いと思っているのだったら、その理由がないとちょっと分かりづらいし、
“どこでも四季や季節があるのに何で強調してるんだろう?”
みたいに思われる。
こういうことは、言語力の問題ではない。