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突然英語が口から出なくなる理由

今日は、外国人の前だと突然英語が分からなくなり口から言葉が出なくなってしまうという人がいる理由について思っている事があるのでそれを記事にします。

英会話を上達させたいという人の中で、よく家で練習している時は言葉が出るのに直接話そうとすると全然言葉が出ないという人がいます。

それには色々考えられる原因があると思いますが、一つ言えるのは英語力だけの問題でないという事です。

私が最もこれが原因なのではと思っているのは、そもそも外国人を見ると緊張状態になってしまい変に身構えてしまうのではという事です。

先ず、日本は島国でどちらかと言えば単民族国家で多民族で構成されていません。外国人も住んでいる事はいるのですが、欧米諸国のように多民族国家ではない。

私は9年以上オーストラリアに滞在していましたが、日本とは全く環境が違うんです。外を歩いているだけで本当に色んな見た目の人が歩いている。

日本人は

“あっ!外国人だ!”

とかいちいち反応する人がいますが、オーストラリアではいちいちすれ違った人がどこ出身の人かなんて意識して

“あっ!〇〇人だ!”と思う人はそんなにいません。

そもそも違うのが前提だから、気になんかしていたら身が持ちません。

違う民族がいたって珍しくはないんです。むしろ、バス停なんかでも気軽に雑談し

「あなたはどこ出身なの?」
「あなたのルーツはどこなの?」

とたずねあう事だって珍しくはないんです。

そしてそこから会話が進んで色んな発見をする事さえある楽しい時間になる時もある。

むしろ、違うのが当然で意識してさえいず最初から身をもって分かっている状態。

だから自分と違う見た目の人がいても身構える人の方が少ないんです。もしいたらそっちの方が変わった人でしょう。

“外国人と”喋ろうとすると英語が口から出てこないと言っている時点で違いに敏感で抵抗感を無意識のうちに抱いてしまっていると考えられます。

“外国人”を強く気にし過ぎているから普段日本人に日本語を喋るより気を張ってしまっている訳です。

こんな意識の人がそのままの意識で、英語圏の人に英語を喋ろうとしたって、もしも英語力が高いとしたって本来の能力は出せる訳はありません。

英語力よりも問題はもっと他にある。

自分と違う人に慣れる。

その習慣こそ、必要なんです。

人というのは慣れていることの方が楽だし安心する習性があるのは先ず仕方がない。

変化を恐れたり、違うものに違和感を抱いたり、、それはある意味防衛本能からきているともいえるから誰でも持っている習性といえます。

同じような人、同じような考えの人、同じ世代の人、同じような環境にいる人。。。。

同じという事に拘っていると、それ以外に対する慣れのような物がうまれないのは当たり前。

変化に柔軟に対応する。そして違いは当たり前と思う。そしてそれを当然な事として受け入れるには慣れこそが必要。

新しい事を始めるにはそもそもいつもと違う事をするという違和感を突破しなければ脳も柔軟化しない。受け入れる事は出来ないんです。

外国人だ!

と変に身構えないようにするには、違いをなんとも思わない精神性こそ大切。

じゃあどうしたら良いのかといえば、外国人と話す以前に違う事に対する慣れが必要。

そんな事、自然と出来たら困らないですよね。意識してしまうから困る。

だったら先ずは、色んな見た目の人がいる。色んな喋り方の人がいるという事実を脳に擦り込む必要がある。

そして慣れてしまえばいい。

そうすれば目の前に自分と全く違う種類の人が来ても身構える事はなくなる。それがスタート地点なのではと思います。

それでこそ、本来の英語力が活かされるのではと思います。


私は日本にいるうちから、外国人に道をたずねられたりしても全く身構える事はなかったし、ネーティブスピーカーの先生にも気負う事なく接していた。

昔、知り合いから“外国人の前だと突然英語が分からなくなり口から言葉が出なくなってしまう”と悩みを聞いた時、その子が

「なんで美奈は大丈夫なの?」と聞かれて初めて考えた時に、あー外国人を見慣れていたんだな抵抗なかったんだな!という事に気付いたんです。

思い返せば私は、色んな国の映画やドラマを観るのがすごく好きでしょっちゅうレンタルして観ていて日本人以外の見た目の人や言葉を発する人を観るのに全く違和感がなくなっていたんだなと気づいたんです。

私は一人でいるのが好きだから空いている時にはしょっちゅう色んな作品を観ていたので恐らく一般的な人よりは多く観ていたのかもしれません。

それにどちらかといえば、自分が知らない事や世界について知りたいという意識が強かったから日本で作られた作品以外の方に魅力を感じていた時期もありました。

だから例えば映画やドラマでも日本の物と同じような感覚で海外のものにも接していたんです。面白そうであれば観るという感じだから日本か海外か“流行っているから”では選ばなかった。

だから日本独自の流行みたいなものからかなりズレていた時期もあったほどなんです。

気付けば、知らない事や違う価値観が手に入るので海外作品は大変手軽に知的好奇心を刺激する楽しいものでした。

それと同じ理由でドキュメンタリーなんかも好きなんです。

目の前にいる人が外国人である事を意識し過ぎている人が突然外国人と話そうとしたって言葉が出ないのは当たり前。

違いを気にしなくなるために頭を柔軟にするには、自分達と違った環境、人を観る慣れが必要。

日本にいて日本での価値観で日本で一般的な流行にのっていて他の物を見たことがなければ違いに違和感を感じるのは当たり前。

海外の人や価値観、違った環境があるという事実が当たり前。そして違いは常にある。

それが当然の慣れとして脳に刷り込まれるには、色んな国の映画やドラマを積極的に観るのは非常に有益と思うのでおすすめです!




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