私の家族について1:相棒ー私の双子の姉
私には双子の姉がいる。私たちは2001年の暑すぎる夏の日の深夜、母のお腹の中から1分違いで生まれた。
それもあって、また両親も平等に接することをモットーに育ててくれたおかげで、友達でもなく、姉妹でもなく、相棒になった。
双子って不思議だ。私たちは特に仲がいいからかもしれないが、本当によくわからない、かつ表現しづらい間柄なのだ。
なんなら以心伝心は、当たり前だ。
私たち2人は、好きな音楽のジャンルが一緒で、聴く曲も似ている。
そのせいなのか、お互いの朝一番鼻歌が偶然同じことが度々ある。
でも顔も似ていない、音楽はさておき、その他の趣味、考え方も性格もまるっきり違う。
一緒にいると友達同士ですか?と言われる。
説明するとそんな感じだ。
姉はどちらかというと慎重だけど楽観主義で、天然で、静かだけど自分の核を然り持っているようなタイプだ。心配性がいきすぎている私とは真逆な性格だが、よく言えば一緒にいると釣り合いが取れている。
姉とは、高校まで同じ学校、同じ部活だった。頭の良さは同じくらいだったし、音楽が好きなのは同じだったので吹奏楽をやった。
大学で初めてお互い一人暮らし、違う大学で新生活を始めてから、私は強迫性障害になった。
姉はとても心配していた。
でも心配の仕方は、寄り添う感じだった。
病気を治すというよりかは、いつも通りの私の笑顔が見たかったようだ。
実を言うと、うつ病を脱するきっかけを作ってくれたのは姉だった。
お風呂も入れず、トイレにも行けず、ご飯も食べれず死にそうな様子だった私に、姉は一度だけ涙を見せたことがある。
けれどそれ以降は、どんな状態でもいいから、「私の一人暮らしの様子・今日会ったこと電話で聞いて!!」と一方的に電話をかけてくれた。
いつしかそれはおしゃべりとなり、楽しいひと時となり、生きる活力になった。
次第に元気が湧いてきて、うつ病を脱することができた。
今でも何かあると姉に一番に話す。
私がおしゃべりで、話すことによって心の整理をつける性格なので聞き上手な姉に助けられている。
感謝しても仕切れない存在だ。
人生のステージを経ていくごとにこの関係性は変化していくかもしれない。でも相棒なのはずっと変わらない。
余談だが、相棒だと言う証拠に、私たちは中学生の時にある協定を結んだ。
それはお互いおばあちゃんになっても1人だったら、同居して互いの面倒を見ることだ。孤独死と言う言葉を知った私たちは、中学生にしてこの協定を同意のもと結んだ。そして令和?の金さん銀さんになることを目標にしている。