脱ぐノオト。#003/お酒さん、今までありがとう
お酒を昨日から辞めた
お酒を20年以上にわたって、ほぼ毎日飲んでいた。(妊娠期・授乳期は除いてだが)
そして最後に飲んだのは一昨日だったわけだが、
その日を最後に辞めようだなんて、その時は思っていなった。
ところが、その夜。
これからの私の人生にお酒は必要ないんだ…と
静かに、唐突に、確信したのだ。
これまでの私
私は対人コミュニケーションに苦手意識があって、それを埋めるべくお酒を飲んでいた。
周りから、お酒を飲むと面白い人だね、とよく言われていた私。
つまり私ってお酒を飲まなきゃ面白くない人なのね… と言う風に自分のことを捉えていた。
勿論、私自身もお酒を飲むと楽しいから、喜んで飲んでいたのだけれども、宴席の場では毎度飲みすぎてしまい、翌日という価値をドブに捨てていた。
二日酔いで具合が悪くなるだけならまだしも、(記憶がなくなるので)昨夜どんな醜態を周りに晒したのだろうと不安になって、ますます具合が悪くなるという負のループにハマるのだ。全てにおいて効率が下がる一方である。
自己嫌悪からの脱却を決意
とくにかく自己嫌悪の連続だった。
しかし、何しろお酒をどうやって辞めたらいいか、まるで方法が分からなかった。
半年ほど前、いっそ呑兵衛キャラでガンガン行こうと割り切り、
自己嫌悪することを辞めようと思った。
要するに、必要以上に自分を責めるのは辞めようと思ったのだった。
それはそれで良かった。
周りの人たちは本当に優しくて、どんな醜態を晒そうが、失言をしようが、
私を好きでいてくれている。(多分…)
しかし、それだけでは足りなかった
それでもずっと腑に落ちていない自分がいた。
「必要以上に自分を責めるのは辞めよう」
そんな心構えだけでは、何かが本質的に足りていなかったのだ。
なぜ、私はお酒を飲み過ぎてしまっていたのか
今回、それがわかった。
うわぁー… こんなことをここに書くのは恥ずかしい…
しかし、そんなことを深層心理で思っていたことが ”わかった” のだ。
ちなみに、”わかった” というのは、その事実をようやく受け入れられたとも言い換えられる。実のところ、内心では気づいていたから。
深層心理で思っていることって
ここ最近、つくづく感じるのは、深層心理で思っていること、つまり、いつも心の中で密かに思っていることって、実は魂からのメッセージなのだろうな、という感覚。
例えば、今回のケースでいえば、
「こんなに飲みすぎてしまう私のことを、誰か心配して!」
これを、魂の言葉として変換すると、
という感じ。
そんなわけで
自分が自分のことをケアしてあげなきゃと心底思い、お酒を辞めようと思った、というわけだ。
表面上、辞めたのはお酒だが、自分の中では、これから必要のないことで自分を苦しめることを辞めたような感じ。
その延長線上に、対人コミュニケーションが苦手、という自己認識も、本当にそうなのか、改めて自問してみる必要があると思っている。
それがベースにあったから、お酒が私の人生に存在していたわけなので。
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