Myルールに縛られていませんか?
他人の何気ない一言に
かすかなもやもやを感じた時
どうしてますか?
これは、心と行動の不一致が起きているサイン
これを放置しすぎた結果
人生の強制ストップを経験してから
自分のもやもやと向き合い続けて
気づけば4年
もやもやってなくならないんですよ
今日は無意識に自分に課していた
Myルールに友人の言葉で気づいた話です
Must、have toはやめたはずなのに
物事の判断指標を
○○しなくちゃならない
○○であるべき
で考えていた頃は
無意識でも心はずっとしんどかった
そこから
○○したい か したくないか
に変えました
それと同時に言葉も
Must、have to の言い方を使うのをやめました
おかげでずいぶんと楽になったのですが
日常生活の些細なところで
「脳内で」「無意識に」使っていたことに
気づきました!
きっかけは他人の些細な一言
何気ない日常会話です
私「週末は必ず掃除機かけてる」
友人「みーこはやっぱキッチリしてるね」
これのどこにももやもやしたの?
ってレベルの日常会話!
友人は褒め言葉として言っただけかもしれないし、単なる感想として言っただけ
なのに私は
「毎週やるって決めてるって
ストイックだね
堅苦しいね、息苦しいね」
に変換されて受け取ったんです
その時はあまりにも小さなもやもやで
そこに何の悪意もないと
瞬時に打ち消したので
普通に会話は続きましたが
そのおかしな変換の理由が判明しました
自分を縛る些細なMyルール
週5で働いていた時の名残で
掃除は週末に必ずすると決めていた私
会社への出勤を週3にした今も
その習慣は律儀に続いていましたが
この前、1週間程家を空ける都合で
そのルールが崩れたんです
しばらくお掃除できてないため
床のホコリとか気になり始めたものの
でも、木曜だからお掃除しない日!
日曜日にやるからそれまで我慢!
なんて思ったけど
気になりすぎて「今!掃除したい!」
と思って掃除したんです
何の苦痛も感じることなく掃除できたときの
スッキリ感!!!
いつもこんな気分にならないのに…
と考えて気づきました
まだ汚れてないのになぁ
めんどくさいなぁ
やりたくない気分なのになぁ
と思いながら気持ちを抑えて
やらなきゃいけないから!と
強制執行で行動していたからなんです
そんな謎のルールを課していたから
「キッチリしている」
が
「堅苦しい」「息苦しい」
に変わって聞こえた
その言葉は日頃自分に対して発していたから
そう言われたように感じたんです
そのMyルールは手放せますか?
じゃあ、そんなMyルールは手放して
「やりたい時にやる!」
にさっさと変えればいいって話ですが
すぐに変われないのが人生を重ねてきた大人!
真面目な人は特にね
それを手放すにはもうひと手間必要なんです
それは、手放せない原因を知って
手放しても大丈夫だと心から安心できること
毎週掃除しなきゃいけないように感じるのは
何でだろう?
と自分に問い続けた結果
出てきたのは「恐怖」でした
ダメな人間に成り下がってしまう恐怖です
人間は慣れる生き物!
汚い部屋に慣れてしまっては
行き着く先はゴミ屋敷
そんな女は嫌われる
友達にも軽蔑される
きちんとできてると思われたい
ちゃんとした人でありたい
が深層心理でした
自分でもびっくりですね
そんなに人も来ないのに人目を気にしている…
だからさらに問いかけました
あなたはゴミ屋敷になるまで散らかせるの?
答えは簡単「いいえ!」でした
少し散らかったり、ホコリの塊を見つけたら
「うっ!!」
ってなる人間が
ゴミ屋敷になれるはずがないんです
ホントに自分を信じてないよね
と、言うことで
やりたい時にやる!に変更
やりたいと思ってやると苦痛じゃないし
清々しいし、満ちるし!
ここまで読んだ方は
しょーもないこと考えてるんだなぁ
とか思うかもしれませんが
これは私の一例です
誰だって人から見たら
なんでこんなことにこだわってるんだろう?
なんでしんどいと言いながら無理してやってるんだろう?
って習慣、思考、こだわりって
大なり小なりあると思います
母親とか見てたらよく思います
でも、本人はなかなか気づかないんです
だからこそそこに「もやもや」が存在したら
無理してる自分に気づくサイン
そして、小さなもやもやを見つけたら
ちゃんと向き合ってあげる
そういう小さなことの積み重ねが
「自分が生きやすい人生」
のつくり方だと思います