GINZAとその後
好奇心旺盛で見たことのない世界が大好きだった学生時代の私の大トリのバイトは一見さんお断りの銀座の会員制クラブ。
営業中はグランドピアノの生演奏が入る店で2年弱お世話になった。
閉店10分前を告げる曲は曲名分からないけど未だにピアノの音色が頭に残ってる。
ヘアサロンでのセットは自腹で必須。
衣装ももちろん自前だから経費はなかなかだったけど時給の良さはこういうのも込み。
銀座のお姉さま方御用達の専門のヘアサロンで毎回髪をバチバチにセットして出勤していた。
スプレーの量が凄くて髪洗うのしんどかったな。
和製J.Loのような夜の蝶だった友人の誘いで六本木のお店から夜のキャリアスタート。
少し前まで家庭教師のバイトしてたとは思えぬ転身ではある。
私はお酒大好きで店で定番のウイスキーやブランデーも美味しくいただき趣味と実益兼ねていた。
おかげで確実にお酒は強くなっていった。
水割り作るのも手慣れた頃、J.Loは銀座へ行くというので2つ返事でついて行った。
面接はあったようななかったような。
怖いという感覚も全くなかった。
シャネラーでJ.Loの所以たる露出度の高い服を颯爽と着こなしていたゴージャスな彼女も今はナチュラルに生きている。
(今でも連絡取り合う仲である)
あの頃(90年代半ば)はオールナイトロングでブギーバッグみたいな毎日で仕事後にそのまま遊びに行けるのも都合がよかった。
ウォーターフロントと呼ばれた芝浦界隈の大箱ディスコからアンダーグラウンドなクラブに移行した頃。
1日にクラブを何軒もハシゴする事もあり朝まで遊んで夕方から出動する。
体力と回復力が今では信じられないな。
夜な夜な出歩くのを見かねた兄が、私を追いかけてきたけど全力で逃げた事もあり猛省しているのは前に書いたっけ。
話は戻り、六本木と銀座どちらの店にも現役女子大生のバイトは在籍していてお客様共々個性豊かで刺激的だった。
私は卒業後に何がやりたいのかずっと漠然としていたけど、教師になりたい子や看護師目指してる子、留学資金貯めたいとか目的ある子も多かった。
そして想像するようなドラマチックでダークな世界線は残念ながらそこにはなかった。
歌わせると尋常じゃなく上手いのはだいたいタレントの卵だった。
みんなあの後どうなったかな。
客層は簡単にまとめるとこんな感じ
↓
六本木→派手、業界人
銀座→上品、重鎮
ある日、信頼してたお店のお姉さまに「必ず自分の身になるし勉強になるから高級店のサービスをできるだけ受けるといい」と言われた。
自称24歳で"行かず後家"という言葉を教えてくれた人だ。←彼女の自己紹介の定番
一流ホテルやレストラン、ラグジュアリーブランドで堂々と振舞えるよう修行せよと師匠は仰る。
そうは言っても一応学生だし行けるところは限られるけどブランド店はミステリーショッパーのごとく入店した。
この時某ブランド店でのホスピタリティ溢れる接客に大変感銘を受けた私はその外資系の企業に新卒で入社した。
超氷河期で就活も二の足を踏んでいたけど、元々ファッション企業には興味があったのでコレと決めたら行動は早かった。
タイミング的にもご縁があったとしか言いようがなかったこの会社は10年以上お世話になり、多大なる経験を積ませていただき私の貴重な財産となった。
学校いつ行ってたんだ?ってくらいキャンパスでの思い出が乏しいけど卒業できたしそれなりになんとかやってたんだろう。
話はだいぶ端折ったけどたくさん背伸びして社会勉強した経験は学校の授業よりもその後の人生で圧倒的に役に立った。
世の中も大らかだったから今の価値観だとまた少し違う結果になってるんだろう。
あくまでも90年代の煌びやかな時代のお話。
置いてけぼりにならないように価値観のアップデートはしていかないとなと常々思う今日この頃。
どこを切り取ってももう2度とはできないであろう眩しい極彩色のような思い出だ。