ライブに行きたくてもなかなか夜の外出は許されぬ中学生の頃ユートピアのような場所を見つけた。 そこは週末の原宿の歩行者天国、通称ホコ天だ。 80年代アマチュアバンドがひしめき合い、リーゼントのロカビリー軍団がツイストダンスを踊り、赤いランドセルをしょったロリータファッションの名物おじさんが練り歩いていた何でもありなストリート。 私も主にシカゴ(古着屋)で調達したヘンテコパンク風ファッションで繰り出していた。 奮発して買ったラバーソールは擦り切れるほど履いた。 両親はライブ行
夏になるとふと思い出すエピソード。 友人と六本木の映画館にレイトショーを観に行ったときの90年代半ば頃の話です。 映画館は空いていたので2人とも隣りの席に各々バッグを置いて鑑賞。 見終わってからバーに飲みに行こうとなり映画の感想を言いながら歩いてる最中ずっと何かの匂いがしていましたが、夜の六本木の雑多な匂いかと思って特に口にすることなく歩いて店に着きました。 店に着いてもその何かの匂いが消えずむしろ強めになってきたのですが、何だろうね?って言いながらお酒を飲み始めました。
好奇心旺盛で見たことのない世界が大好きだった学生時代の私の大トリのバイトは一見さんお断りの銀座の会員制クラブ。 営業中はグランドピアノの生演奏が入る店で2年弱お世話になった。 閉店10分前を告げる曲は曲名分からないけど未だにピアノの音色が頭に残ってる。 ヘアサロンでのセットは自腹で必須。 衣装ももちろん自前だから経費はなかなかだったけど時給の良さはこういうのも込み。 銀座のお姉さま方御用達の専門のヘアサロンで毎回髪をバチバチにセットして出勤していた。 スプレーの量が凄くて髪
学生時代はバラエティ豊かにアルバイトをしてきた。 小さい頃「お店屋さん」に憧れてたから接客のバイトは大好きで定番のファーストフードやレストランは高校時代に一通り攻めた。 初バイトはサーティワンで記憶違いでなければピンクのコスプレっぽい制服がお気に入りだった。 写真撮っておけば良かったな。 ロッキーロードはその時に一生分食べた。たぶん。 大学生になってからは時給の良いものを狙い打っていった。 タバコを配るキャンギャルみたいなのとか球場のビールの売り子とか。 ギャラは良かったけ
私の初めてのロックコンサート参戦は人気絶頂で解散したBOØWYのLAST GIGS。 中2になったばかりの13歳の春だった。 チケット発売日は都内の電話回線がパンクしたというニュースが流れ、引きの強さに感動ひとしお。 BOØWYは2つ上の兄が好きで部屋から漏れ聞こえる音を聞いて小学生の時に知った。 わがままジュリエットが良く聞こえていた。 兄は既に思春期モード突入していてあまり話をしなくなっており気を引きたくて私も聴き始めた。 それまで聞いていた聖子ちゃんたちとは違う世界に
歌を聴いて初めて涙を流した曲はH2Oの『想い出がいっぱい』 大好きだったアニメ『みゆき』のエンディングの曲だった。 その後のタッチも名作だったけど断然みゆき派。 血の繋がらない兄弟設定は子ども心にジャストミートだったのだ。 ちなみにみゆき役の声優はダンシングヒーローでブレイクする前の荻野目洋子だった。 レコードを手に入れて針を落としてはなんか知らんが泣いていた。 聴く度にパブロフの犬状態で泣いてしまうこの曲を小学校の卒業式で歌うことになった。 前の学年までは贈る言葉だったの
昔住んでいた家の近所に家族で営む定食屋さんがあった。 その定食屋のひろみちゃんは同級生で、遊びに行っては『何か食べてく?』と言われしょっちゅうご馳走になっていた。 ひろみちゃんのママは若く綺麗で野口五郎のポスターを部屋に貼っていた。 その頃はたのきんトリオ全盛期だったから、五郎を選ぶのはすごく大人の選択なんだと子ども心に思った。 ある日いつものようにお昼をご馳走してもらったとき、ひろみママに年齢を聞いた。 24歳だった。 ひろみちゃんにはお兄さんもいて逆算するとサバ読んで
子どもの頃は2歳年上の兄が絶対的存在で、私は金魚のフンみたいにくっついて遊んでいた。 お人形遊びより超合金やプラモデル。 おままごとより外で駆けずり回り、ビックリマンシールにキン消しに可愛くない遊びを主に楽しんでた。 2人の結束は固いと思っていたのに小学校高学年になった頃から突き放されるようになった。 袂を分かつ決定的な事が2つある 1:バドミントンで遊んでたら私の方が上手い事にイラついたらしくラケットでぶん殴られた。 安物のラケットは折れて私は頭から大流血し近所で騒ぎに
子ども時代に好きだったものの筆頭。 それは平凡と明星。 似たような内容だったけど明星の方がちょっとお洒落だと思ってた。なんでかは分からない。 小学生になってからザ・ベストテンなどの音楽番組を前のめりで見るようになり女性アイドルにハマりにハマった。 聖子ちゃんに始まり明菜やキョンキョンなど花の82年組の面々は特に好きだった。 なんなら自分がアイドルになりたいとすら思っていていた。 (睡眠時間が取れないという理由で諦める事になる。) 平凡と明星は私に甘い祖父に買ってもらい親に
私が思い出せる最古の記憶。 それは幼稚園の滑り台の上でピンクレディを歌って踊る自分の姿。 (ケイちゃん派でした) 4歳から私の記憶は始まる。 初めて買ってもらったレコードはピンクレディのペッパー警部。 これを皮切りに後に女性アイドルに只ならぬ興味を示すようになる。 兄の影響からかみんなよりお姉さんに見られたい願望があったように思う。 字が多めの絵本をたくさん読んでドヤったり(たいした文字数ではない)、親が提出する書類を拙い字で自分で署名して勝手に幼稚園に提出して担任に諭され