思い立って1人でタイ語しか(ほぼ)通じない街へ行く話②
「なんでチェンライに行くの?チェンマイが一番いいのに」
チェンマイ大学のそばの、学生が集まるにぎやかなカフェで、アイスココアをストローで吸いながらJOは静かに言った。「チェンライは何もないぞ。めっちゃ暑いし、交通の便も悪い。虫もいっぱいだ。お前ひとりで行けるのか」JOは続けた。
JOはチェンマイ出身のチェンマイ大生だ。頭がよく勉強熱心で行動力のある人だった。バンコクに住む友人JBの弟で、自分がタイに居る間はよく気にかけてくれて、なにかと世話をやこうとしてくれた。こんかい自分がひとり旅で2日間チェンマイに滞在する間、4年ぶりに再会できた。
その日は、JOとドイプイに遊びに行った帰りだった。「JBとも話てたんだけど、お前1人でチェンライはおすすめできない。チェンマイに残るべきだ」。今度は強く断言した。そして再び地元チェンマイがいかに素晴らしい街であるかを誇らしげに語った。JOだけが言うならまだしも、姉JBまでもが自分のチェンライ行きに反対しているのかと思うと戸惑ってしまった。明日チェンライに行くつもりで、チェンライのホテルもとってるし、チェンライからバンコクへ向かう飛行機もとってある。相変わらず冗談言ってるなあと笑って胡麻化すと、JOは真剣な顔で、「チェンライはやめときなさい」とさらりと言った。すぐにJBにLINEをとばした。「あんたの弟が俺のチェンライ行きを阻止しようとしてくるんだけど(笑)」
ほどなくして返信がきた。「うん。実は私も反対だったの。すごく心配」
そんなにチェンライに行くのがダメなのか。というか、自分がそんなに頼りないように見えるのか。もう自分は学生じゃないんだけど。タイ文字もほとんど読めるし、ある程度の簡単なタイ語の会話だってできるんだけどなあ。
しばらくしてJOの大学の友人らがカフェにやってきた。「こいつは日本から来た友達なんだ」と紹介される。JOはチュラロンコン大学を1度卒業してから、新たな学士号を取るためにチェンマイ大学に入学した。自分はJOとは、歳がそこまで離れていなかったが、JOのチェンマイ大の友人らは19歳や20歳ばっかりで、自分とは10歳以上も離れていた。タイの10代の女子大生らと何を話したらええのかと戸惑いつつ、簡単に自己紹介したり、これが4回目の訪泰であることを話したり、日本に来たことがあるかなど彼らに聞いたりした。
そして、JOが言った。「チェンライに行こうとしてるんだけど、やめたほうがいいと思うんだ。チェンマイに残った方がいい。もっとやれることあるし。みんなどう思う?」。女子大生たちが、自分の顔を一斉に見た。「チェンマイに残る方がいいよね」。即答だった。「MAIIAM美術館だってまだ行ってないんでしょう?チェンマイでほかにもいろいろ行くべきところはあるよ」「チェンライは遠いしねえ」「チェンマイに残るなら、ランパーンだって日帰りで行けるよ」。次々にチェンマイ残留に票が入っていく。
あとあと考えたのだが、タイの古都で第2の都市であるチェンマイに住む彼らが、チェンマイに強いこだわりを見せのは、京都人が京都に強いプライドを示す仕草と同じかもしれない。もちろんその場の話のノリであったとも思うが。いずれにせよ、ひとり旅の面白い選択の分かれ道に立った。
夕暮れ、ホテルに戻り、フロントでサービスのカットフルーツのスイカをしゃくしゃくと食べて日中ほてった体を冷ました。そして、フロントの前に併設されたプールにひとり足をつけて考えた。せっかくとったチェンライのホテルや飛行機をキャンセルするのはもったいない。が、ここまで現地の人々に言われたのなら、あえてチェンマイに残るのも旅の話のネタとしても面白いかもしれない。チェンマイから日帰りで、どこか電車旅するのも面白いかもしれない。事前にチェンライのおすすめスポットを教えてくれた、Twitterのフォローワーには申し訳無さを感じたが、タイはまたすぐ来るし、次回チェンライを訪れるとしよう。そういえば、JOの友人のひとりがどこか日帰りで行けるところがあると言っていた気がした。どこだっけ。
思い出して、地球の歩き方を開いて探した。ランパーン、かつてチーク材の生産で栄え、古い木造建築が残り馬車が走る街らしい。面白そうだ。馬車に乗って街を散策して、適当に寺や木造建築でも見ながら、カフェでゆっくりしようか。すぐにホテルのスタッフにランパーンの行き方を相談した。
こうしてランパーン行きは、たまたま会ったチェンマイ大学の女子大生の一言で決まったのだった。ちなみに、地球の歩き方の紹介は、ランパーンはチェンライよりも遥かにページ数が少なかった。
(つづく)