思い立って1人でタイ語しか(ほぼ)通じない街へ行く話⑤
たまに"自分はこんな人生もあったのかな"と思うときがある。直接会って話した人やドキュメンタリー作品で見た人とか。その人の断片的な姿に自分を投影するに過ぎない行為で、だから、まるで無意味なことだと分かっているし、場合によっては傲慢でもあると分かっている。けど、時折、急に、想像する。「ひょっとしたら自分はこんな生き方もあったのかなあ」
17時30分発のランパーンからチェンマイへ戻る終電でうとうとしていると、通路を挟んで向かいの席から幼児がこっちを見てくる。目が合う。幼児、すぐに隣の親に話しかける。幼児、再び笑みを浮かべながらこっちを見る。ほほえみを返しつつ再びうとうとする。幼児の親、こっちを見る。ほほえみ合う。結局言葉を交わすことなく、そのまま眠った。目覚めると彼らの姿はもうなかった。窓の外は真っ暗だったが、すでにいくつかの峠を越えていたようで街に近づいているのがわかった。彼らはどこから乗ってどこで降りたんだろう。どんな用事のために特急電車に乗っていたんだろう。
車窓に反射する自分の顔を見つめながら、ソンテオのおっちゃんのおすすめによる半日チャーターツアーを思い返す。おんぼろソンテオに慣れてきた頃におっちゃんの名前を聞いたら少し照れながら名前を教えてくれたこと、おっちゃんが放牧された牛を指さし写真を撮るといいと言って途中でソンテオをとめてくれたこと、おっちゃんが土産物屋に連れて行かずに寺の中を詳しく案内してくれたこと。おっちゃんは今頃なにをしているだろう。家族と夕飯を食べているだろうか。それとも仲間と酒でも飲んでいるだろうか。おっちゃんはいつからソンテオの運転手をしているんだろう。出身もランパーンなんだろうか。
寺の売店にいた女性のことも気になった。なんとなく学生のようにも見えたが、実際は聞かなかったな。学生だったらどんなことを勉強しているんだろう。売店はアルバイトかな。ずっと前からあの売店で働いてるのかなあ。仲良く話したけど、聞いてもよかったのかなあ。
数日前チェンマイの郊外の美術館に連れて行ってくれたGrab運転手(ホテルで呼んでチャーターした)の男性は、もともとトゥクトゥクの運転手だったけど、コロナ禍の減収で軍に入らざるを得なくなったと言っていた。軍の仕事とGrabの仕事を週替わりでやっているらしい。今週末、軍のためにまた山に戻らないといけない、ああ嫌だなあと言っていた。軍に入ることを決めたときはどんな思いだったんだろう。今はまだチェンマイにいるだろうか。もう山に行ったのかな。
チェンマイ大学のJOやその友達の学生たちは期末試験の真っただ中と言っていた。放射線技師になるために勉強しているらしい。今日の試験はもう終わって勉強しているのかな。あのカフェで集まっているのかな。というか、JOは試験があるのに俺と遊んでて大丈夫だったのか。
LINEが届く。JOからだ。「もうチェンマイに戻ってる?まさか本当にお前一人でランパーンに行くなんて」。チェンマイです!終点です!車掌が車内を歩きながら呼びかける。2時間座りつづけた体を伸ばす。19時30分のチェンマイ駅。外は街の明かりでまぶしかった。街で暮らす人たち観光できた人たちが往来する。駅前で客を出待ちしている赤いソンテオを適当につかまえた。赤いソンテオの車体は磨かれてきれいだった。助手席ではなく荷台の客席に乗せられた。颯爽としたスピードで幹線道路を飛ばす。ニマンヘミンが近づく。晩ごはん何にしよう…。またJOからLINEだ。「ねえ、もうごはん食べた?」
(おしまい)