こうしなければならないはラクにもするし苦にもする
くつをそろえておく、かえったら手をあらう、でかけるときはハンカチとティッシュをもつというふうに、型がきまっているとラクだ。
こうしなければならないことを決めることは、こうしなくてもいいことをきめることなのだ。
よく企業のESで「弊社に志望した理由を自由にかいてください」というのは、本当に自由にかいてくださいという意味ではないことからもわかる。こうしなければならないということは日常生活でだれもが一度はであっているのではないか。
こうしなければならないということは、そのほうがラクなときもあるが、ときに自分自身をくるしめる。一番わかりやすいのは、他者と意見がくいちがうときだ。相手のこうしなければならないと自分のこうしなければならないがぶつかるとき、意見がくいちがう。
他者と意見がくいちがうときに、一歩ひいて自分の意見と他者の意見をみれる人は利口だとおもう。なかなかむずかしいけどね。
自分をラクにしてくれるときなら、こうしなければならないというのは条件や制限になる。好きにしてといわれるのがいいか、こういうふうにしてといわれるのがいいかというのは個人によるとはおもうが。
逆に、自分をくるしめるときは、障壁や課題という言葉にいいかえられる。こうしなければいけないことは、自分自身がこえなければならない壁ということになる。
こうしなければならないことは、相手にとっても必ずしも同じじゃない。そういうふうにかんがえると、理解しあえることも多いんだろうな。
読んでくれてありがとう。
髪はかならずドライヤーで乾かさないときがすまないの。