アンパンマンになりたいと思うか
最近のアンパンマンは顔が交換されるシーンがあまりないらしいという噂を聞いた。それはさておき。
もし日本人を対象にした正義のヒーローランキングがあったら、アンパンマンは上位10位以内にはきっとランクインするだろう。
それくらい知名度と人気があるヒーローだが、アンパンマンを見て、こうなりたいと思う人は少ないのではないか。もちろん子どもの時なら、純粋にかっこいい、こうなりたいと思っていただろう。
ただ、大人になって冷静にアンパンマンを見てみると、これがヒーローならヒーローにならなくてもいいとまで思ってしまう。
「能ある鷹は爪を隠す」
アンパンマンはどの回をみても、あれだけの戦闘シーンがある割にトレーニングを積んでいる姿をほとんど見たことがない。アンパンマンはテレビアニメのキャラクターにすぎないし、トレーニングシーンを写すことに何の意味もないことは承知だ。
その上で、斜め読みしてみると、やっぱりアンパンマンは架空のヒーロー像でしかなく、現実のヒーローはもっと泥臭いものだと思う。毎日働くお父さんも、毎日働くお母さんも、皆ヒーローだ。汗水たらして必死に働く人も、愚痴を言いながら働く人も、皆ヒーローなのだ。
そんなアンパンマンみたいなヒーローは子どもだけではなく、大人にとっても雲の上の存在なのだ。
「自分の顔をあげる」
アンパンマンのアニメでは、僕の顔をあげるよ、というシーンがある。アンパンでできた自分の顔をあげるとは何とも感動的な展開だ。
ただ、現実に置き換えたらどうだろう。自分の大切なものを渡すようなものだろうか。大切なものは人それぞれだが、仮にお金だとするとそれを他人に渡すことができるだろうか。アンパンマンのしていることはなんだか神様のしていることのようだ。
人にここまで尽くせる人(?)がいるだろうか。自己犠牲をはらってでも困っている人を助けたいという気持ちはあっても、実行するのは難しい。やっぱりアンパンマンの世界はファンタジーの世界の話だ。
アンパンマンになりたいと思うか、と聞かれたらNOと答える。ヒーローはいない。そんなことを言ったら、子どもたちは悲しくなるかもしれない。ヒーローは自分の心の中にいるのだ。それは、もしかしたら自分勝手なものかもしれないし、誰にもわかってもらえないことかもしれない。
ただ、愛と勇気があればヒーローになれるのだと思う。それならいっそ自分らしいヒーローになってしまえばいい。それで、本当に誰かを救えるのなら。