看護師1年目で挫折、適応障害になり転職した話
ワタナベミキです。
現在は看護師9年目になり、中堅看護師として病棟で元気に働いています。
そんな私も実は、新人時代に心を病んで丸一年で転職した経験があります。
新卒看護師で頑張っている方の中にも、「もう辞めたい」「仕事に行くのが辛い」「私、看護師向いてないのかな…」と悩んでいる人は多いのではないでしょうか。
そして4月から新しく看護師になる皆さんの中にも、新しい環境への期待や緊張、不安など色々な感情を抱えている方がいると思います。
でも、大丈夫です。
早い段階で挫折を経験することは、決して悪いことばかりではないからです。
そんな私の1年目を少しだけnoteに書いて、振り返ってみようと思います。
能天気な高校生、看護学生時代
私が看護師になろうと思った理由は、母が看護師をしていて子どもの時から何となく看護師という仕事がずっと身近にあったからです。
看護師って就職に強いらしいし、食いっぱぐれがない印象だな。他にやりたいこともないし。
そんな志も何もない理由で看護師を目指しました。
幸い成績は特別良くもないけど悪くもなく、何となく生徒会もしていたので内申点だけはそこそこ良く、受験勉強もしたくなかったので指定校推薦で行ける学校を選んで無事に合格しました。
そんな何も考えていない高校時代を経て、看護学校に進学してようやく看護学生や看護師の大変さを少しずつ理解し始めました。
教科書を貰って、勉強量の多さに驚いたり。
実習が始まり、朝まで記録やレポートに追われたり。
国家試験対策のために、皆で勉強したり。
とはいえ何だかんだで周りの友人と助け合いながら、無事に看護師免許を取得しました。
専門学校選びの失敗
学生生活も3年目になり、就活を始めましたがここで初めてこの専門学校を選んだことを後悔しました。
私はかなりのおばあちゃんっ子で、就職は道外に出て祖父母の住む県で就職したいと考えていました。
ですが、私の通っていた専門学校は「地域医療を支える」という理念がある学校だったので、北海道内の特に田舎、いわゆる僻地と言われる場所で就職しなければいけないという決まりがありました。
この時ほど、高校時代に専門学校選びを妥協しなきゃ良かった...と思ったことはありません。
そして結果的に就職先も妥協することになり、それが今後の自分の人生に大きな影響を及ぼすことになります。
妥協して地域の中核病院に入職
新卒での入職先は、地域の中核病院と言われるようなそこそこ大きな病院でした。
私のほかに新卒で4人入職しましたが、それぞれ違う病棟に配属になりました。
みんな違う病棟の配属でしたが、たった5人の同期だったので休日は遊びに行ったり、ご飯を食べに行ったりとそれなりに楽しく過ごしていました。
半年くらい経ったくらいで、同期の1人がストレスで休職してしまってからは何となく、みんな疎遠になってしまいました。
プリセプターとの関係
新卒看護師として入職するとプリセプター(主に教育、指導や精神面のサポートをする役割のある先輩)が一年間ついて、マンツーマンで関わってくれるという制度があります。
当時のプリセプターさんは、看護師5年目の明るくて優しい先輩でした。
プリセプターとは初めの数ヶ月は同じ勤務になるようにシフトが組まれているのですが、土日勤務や夜勤が始まると会う機会が減ることがほとんどで、例外なく私も同じ状況でした。
勤務が重ならなくなってからは話す機会が減ってしまい、いざ相談したいことがあっても出来ないことが増えました。
配属先の病棟と怖い先輩
私の配属された混合病棟は内科をメインに色々な科の患者さんが入院する病棟で、入退院も多く、オペ出しやオペ戻りもあり、それなりに忙しく毎日バタバタしているところでした。
21時近くまで残業することも多かったのですが、当時は入院対応をした人やその日のリーダーは残業申請が出来るけれど、それ以外の人は申請をしにくい雰囲気でほぼ毎日サービス残業でした。
半年くらい経った頃には疲れが溜まって、気付けば家に帰ってご飯を食べて寝るだけの毎日を送っていました。
そんな状況なので、手とり足とり教えて貰うというよりは自分が主体的になって何でも聞きに行く、やったことのないことは積極的に学びに行く姿勢が重要視されていたと思います。
毎日一番に出勤して雑務をしたり、自分が早く終わった時には「何か出来ることはありますか?」と聞いて回ったり、当時の私としては少ないながら出来ることはやっていたつもりでした。
特にプリセプターと勤務が合わなくなってからは、「早くできることを増やして、一人前の看護師にならないと」と色々な先輩へ積極的に声をかけるようにしていました。
優しい先輩も多かったですが、中にはちょっと怖い先輩もいて、例えば人工呼吸器のついた患者さんの清潔ケアをする際に協力を依頼すると「そんなの一人で出来るでしょ」と言われたこともありました。
一人でやらなければいけない不安と、患者さんに危害を加えてしまったらどうしようという恐怖も相まって、その怖い先輩が指導してくれる日はかなり緊張しました。
申し送りをする時も「で?」「だから?」「ふーん」のオンパレードで、正直その先輩に対してはかなり苦手意識がありました。
その先輩には結局、最初から最後まで怒られたことはあっても褒められたことはなかったですが、「これが出来てないよ」と指導してもらったことに関しては退職してだいぶ経った今、前向きに捉えられるようになっています。
徐々に身体に影響が出始める
今思えば、毎日気が張りつめていて、日に日にストレスか蓄積していたんだと思います。
家に帰ってご飯も食べずにすぐ布団に入って眠り、気付いたら朝になっていることが増えました。
何故か目覚ましをかけなくても5時か6時にはしっかり目が覚めるのは勿論、休みの日も夢で怖い先輩に怒られるという最悪な目覚めを何度も経験しました。
そのうち仕事中に異様な眠気を覚えたり、目眩やお腹が痛くなるなど体調を崩すことが増えました。
もちろん仕事中に異様な眠気を覚えたとしてカンファレンス中にウトウトしていたらバレますし、当たり前ですが怒られます。
そして体調を崩した時には、勤務先が病院なので「とりあえず病院来て受診して」と言われ、働いている合間に受診して結局働くことになりました。
当時は病院で勤務している人はそれが普通なんだと思っていたので何も言えませんでしたし、なんでこんなに眠いのか、体調を崩すのかがわからず真剣に悩んでいました。
体重も気付いたら10kg近く減っていました。
心が折れて、転職を決意
さすがにこのあたりでストレスが原因だと気付きましたし、周りの先輩方も私が何かおかしなことになっているのは気付いていたと思います。
プリセプターさんと夜勤が一緒になった時、「大丈夫?」と声をかけられて、でも何が辛いのかを上手く言語化出来ずに、出来ないことが辛いと泣きました。
プリセプターさんからしたら迷惑な話だったかもしれませんが、あの人が苦手とか怖いとか、さすがに言えないですよね。
ただ、私が何も言わなくても何となく周りは気付いていたようで、プリセプター以外の先輩からも「○○さんの態度、あまり気にしないようにね」と声をかけられたりもしました。
病棟師長からは一度心療内科等に行ってみてはどうかと言われたので心療内科に行った結果、適応障害の診断を受けました。
心配してくれる人もいることに元気づけられ、何とか頑張ろうと思った頃、偶然病棟師長の机の上に置いてあったメモが目に着きました。
「泣いているだけで何も言わない」
「結局やる気がないだけ」
その文章を見た時、完全に心が折れたと同時に周りの人が全員信じられなくなり、転職しようと決意しました。
今となってはプリセプターも周りの先輩も別に陰口を言っていた訳ではなく、ただ情報の共有をしていたつもりだったんだろうと思います。
実際、看護の現場では先輩同士で新人の成長状況や問題点などを話し合うことが多いです。
でもたとえ教育や指導の一環だとしても、師長を含めて陰口とも捉えられる話をして、目につく場所にメモを残していたことは問題ですよね。
今は中堅看護師として新人育成に携わることもありますが、看護師同士の情報共有や新人指導の際には相手がどんな気持ちになるかを考えて行動・発言することの大切さはよく理解しているつもりです。
転職することで救われた
決意してからは逆に全てが吹っ切れて、転職サイトに登録、休みの日に転職活動をしました。
初めての転職だったので、転職エージェントのサポートを受けながら転職先を探しました。
そして意外とすんなり転職先が決まって、あんなに悩んでいたことが、終わってみれば小さな悩みだったことに気付きました。
二年目に就職した病院は、今は子育ての関係で既に退職してしまっていますが、全員が協力して仕事し合える素敵な職場でした。
初めはちょっと怖めな雰囲気の先輩もいましたが、出来ていないところはきちんと指導してくれて、出来ているところは認めてくれる、知れば知るほどそんな優しい先輩方だらけの職場でした。
転職を経験してわかったこと
一年目で転職を経験したことで、わかったことが三つあります。
一つ目に、看護師はたとえ一年で退職したとしても転職先がそれなりにあること。
全く転職に困らない(どこでも行きたいところに行ける)訳ではないですが、それなりに内定は貰えます。
一年目に退職を申し出た際に、当時の病棟師長から「一年で辞めてるようじゃ一人前の看護師にはなれないよ」「どこに行っても雇って貰えないよ」と言われましたが、そんなことはないので安心してください。
たとえ一年で転職したとしても、今までの経験は無くならないし、引き継ぐことができます。
二つ目に、やっぱり妥協は良くないこと。
色々書きましたが、一年目で就職した職場やそこに働く人達が全て悪いわけではないです。
何となく楽だからや妥協で、進学先や就職先を決めたことは、今思えば自分にとって甘えの原因になっていたのではないかと思います。
「別に大きな志があるわけじゃないし」
「ここで働きたかった訳じゃないから」
「だからそこまで頑張らなくてもいいでしょ、それなりに頑張れば」
自分では頑張っているつもりでも、周りにはそういう気持ちが透けて見えていたんじゃないかなと、今となっては思います。
本当に自分のやりたいことや興味のあることなら、きっと頑張れますよね。
そしてその頑張りは、たとえ空回りしていたとしても周りに届くと思います。
最後に、環境を変えることで、変えられるものもあるということ。
自分で出来る努力はもちろんするべきだと思いますし、努力した結果で道が拓けることもあるでしょう。
環境だけが原因だと自分を全て正当化することは、良いことだとは思いません。
でも自分の心が壊れるくらいなら、変えられるものは変えていいと思います。
私のような軽い適応障害でも、転職してすぐに立ち直れたわけではないです。
しばらくは昔に比べて人の目が気になっていたし、人に話しかけるのにいちいち勇気も必要でした。
なので本当に今が辛い方は、是非一度立ち止まって色々考えてみてくださいね。
辛い経験や挫折をしたからこそ、得られるものや他人に与えられることもあるはずです。