【日記】きのこ先生と心の詩
小学校高学年の担任の先生は
きのこ博士だったので
きのこ先生と呼ばれていた
きのこ先生は理科の先生なのに
文を書くことを大切にしている先生だったので
よく国語の先生だと間違えられていた
五年生の春
縦書き作文用紙の冊子が配られた
教科書くらいの厚さで
左側二箇所でホチキス留めされていて
色紙の表紙のど真ん中に毛筆体で
「心の詩(こころのうた)」
と大きくプリントされていた
「強制ではないけど、たくさん文を書きましょう。詩でも作文でもいい。朝出してくれたら見ます。」
先生はそう言って、提出場所として
薄紫色のプラスチックのお道具箱の蓋を
机の角に置いた
心の詩を提出する子は
四月から少しずつ減っていったが
私は2日に一回くらい
六年生の終わりまで心の詩を提出した
何か出来事があるとお母さんが
「それ心の詩に書いたらいいしょ」
と勧めてくれていたのも継続の手助けになっていた
日記だったり詩を書いて
裏にはイラストを描いた
先生は赤ペンでコメントを書いて
提出した日の終礼前に返してくれた
先生は家で煙草を吸うので
たまに煙草の匂いがついて返って来るのが嫌だった
一冊終わると次の新しい心の詩ノートをもらえた
違う色の表紙と字体になるので
もらう度に新鮮な気持ちになれて嬉しかった
時々匿名でクラス便りに文が載ったり
クラスメートの前で読まれたりするのが
嬉しいけど恥ずかしくて嫌だった
「裏のイラストの方が楽しみで、先に見てる」
と先生は正直な感想を伝えてくれた
私は文も工夫して書いてるつもりだったので
「文はあんまりなのかな」と
ちょっとばかりショックだったが
絵に自信がついたし
先生が楽しみにしてくれてるのが嬉しかった
小学校を卒業後、絵は続けていたが
詩や日記を書くことは少なくなってしまった
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今、noteを始めて
改めて詩を書く楽しさを感じている
私は昔から詩を書くのが好きだった
思い出した
(漢字や語彙力には苦手意識があるけれど‥)
気持ちを言葉にし
誰かに読んでもらうだけで
気持ちの居場所ができる
ポワポワと落ち着きなく浮かび漂う気持ちを
ひとつひとつ袋にしまって
静かに置いておける
詩を読んでもらうのは
初めは少し小っ恥ずかしい気もするが
その時の感性と表現を残してくれる
大切な思い出は言葉にすると
自分の感じたままに記憶に残る
あの時、心の詩を書いていてよかった
大人になっても心の詩は楽しいです🍄