【平日随筆】誰の絵も描けないけれど
原稿を2本書いて、友部正人の「誰も僕の絵を描けないだろう」を小さくかけながら、壁に娘が描いた絵を貼った。
はじめてこの家の壁に絵を飾ったのは、まだ娘が赤ちゃんだった頃、同業の友人で敬愛するアーティストでもあるみほちゃんに描いてもらった私と娘の二人のクレヨンの肖像画だった。
絵の中の娘は当然赤ちゃんのままだけど、絵の外の娘はそれも当然子どもに、そして大人へと向かっている。
だからこそその横に、とたしかな心で娘が描いてくれた私の似顔絵を貼った日。
それはもう6年も前のことだ。
思えば、娘はそんな風に物心ついた頃から9歳の今に至るまで毎日のように私の絵を描いてくれている。
最初は歪な丸のお顔だけだったのが、いつのまにやら髪が生え、足や手を拡げ、瞳は日に日に輝き、さらには綺麗な色のドレスを着せてくれたり、髪を結んでくれたり、まつげをくるくるにしてくれたりと、日々すてきな工夫がなされていった。
そして、あっという間に私は今、さながら少女漫画の主人公である。
こうしたらよくなるかな、とか、今日はこうしてみようかな、とか、すてきに描けてうれしいな、とか。一生懸命考えたり感じたりしてるその頭とか心に潜り込んでみたい。潜んで、思いっきりその気持ちや考えの本当を抱きしめてみたい。
自分から「本当」が削がれていくたびにそんな思いは強くなった。
だからこそ、歳を重ねるたびに少しずつしかし確実にある種の嘘や模倣を覚えていくその過程は切なくもあった。成長とはそういうことだとわかってはいるけれど。
だけど、その中にも確かに私はいて、そして娘がいる。
それは、一人だけど、二人分の肖像のようだ。
私は絵が下手だから、絵が上手く描けないから、文章をかくことを選んだのかなあと思うことが時々ある。それと同じように、楽器が弾けないから、歌がつくれないからかも、と思うこともある。絵描きや演奏家になりたいなど思っているわけではないのに不思議だ。
ぞうに見えないぞうの絵の横に「ぞう」って書いてしまうような子どもだった。
今だってなんでもすぐ言葉にかえようとしてしまう。
かえなきゃと思ってしまう。
だけど本当は、言葉以前のものがいつだって言葉を超えていくことを、知ってる。
「月が美しいね」が「君が好き」のメタファーなのはあまりに有名な話だけれど、言葉の意味なんてそんなふうに心次第なんだって、知ってる。
全てがはみ出し、溢れ、掬えないものなんだって知ってる。
だいっきらい、と言って縋るように抱きつきたくなる夜も、
だいすきだよ、と言いながら今すぐ一人になりたくなる朝も知ってる。
素晴らしい、天才、傑作、と日々言えなく、いや言いたくない心を知ってる。
言葉にならないその心がとても強いことも、言葉がなければいいって思う瞬間の美しさも、そしてその反対も、知ってる。
なのに、いつも言葉を追いかけている。
だから、いつも言葉の前に立っている。
ずっと、ずっと迷いながら。
絵が描けたら、音楽がつくれたらと思いながら。
だからだろうか、同業でありながら絵描きでもあるみほちゃんのこんなにも自由であたたかな絵に励まされるのは。
こんなにも理屈ではない、本当に溢れた娘の絵に惹かれるのは。
そこにはそれでしかない本当があるからかもしれない。
友人や娘のように絵が描ければよかったし、友部正人みたいにギターが弾ければよかったなあと思うけど、結局30を越えても絵や楽器を練習せずに、言葉を選んでる。言葉は信じてないけれど、真綿にも刃にもなる言葉の力は、良くも悪くも信じている。だからかもしれないけれど、時々とっても心許ないよ。
この絵の素敵さを、この絵をもらった時の嬉しさを表す言葉をやっぱり探しながら、それはまだ全然ぴたりとは見つからず、夜はまたさらにと深くなる。
見つからないまま夜が明けて、昨日は知らなかった言葉を覚えて今日またひとつ大人になっていく娘は、また明日も新しい絵を描いてくれるのだろう。
誰も僕の絵を描けないだろう、と大好きな友部正人は言うけれど、
娘は明日どんな私の絵を描いてくれるだろう、と思う。
どんな服を着せてくれるだろうか、と私は思う。
一つ屋根の下、娘は色を選んで絵を描き、わたしは言葉を選び、文を書く。
"絵心"みたいな言葉が文を書くことにあればいいな、となんとなく、だけどずっと思っている。思い続けていくのだと思う。
©︎『誰の絵も描けないけれど』/丘田ミイ子
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「35歳までに自分の連載を持ち、書籍化する」私にはそんな夢がありました。
チャンスは何度かあったがどれも白紙、どころかチャンスがピンチになる経験等もし、来月6月に遂に36歳に。
だから今日から約1ヶ月、35歳の私の為の連載【平日随筆】始めます。
更新は週5。諦めの悪い自分が時々好き。よかったら読んでね。
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丘田ミイ子(おかだみいこ)
1987年生まれ、滋賀県出身。大学卒業後、フリーライターの道へ。祥伝社刊行『zipper』にてライターデビュー。
その後、出産をきっかけに2014年より同社『nina`s』で5年間活動。その傍ら、『リンネル』、『Lala begin』、『LEE』、『FINEBOYS』、『赤すぐ』、『Olive』などの雑誌や『She is』、『SPICE』、『ローチケ演劇宣言!』、『演劇最強論-ing』、『DRESS』、『CHANTO web』などのweb媒体、その他企業メディアや広告媒体などへ活動の場を広げる。
ライターとしての執筆ジャンルは演劇、映像作品に関するインタビューやレビューなどのカルチャーを中心に、ファッション、ライフスタイルなど。
近年は、小説やエッセイの寄稿も行う。直近の掲載作に、私小説『茶碗一杯の嘘』(『USO vol.2』収録)、エッセイ『母と雀』(文芸思潮81号 第16回エッセイ賞優秀賞受賞作として収録)などがある。
2015年より育児と仕事の合間を縫って書き始めた初の長編小説を2022年に脱稿。破綻した恋愛と東京の街、ある時は劇場、またある時は雑誌編集部で他者の才能に翻弄されながら”ある時”を迎える駆け出しの文筆家の3年間(2011-2014)を描いた、85%の本当と15%の祈りから成る私小説的物語。版元・刊行・発表形式は現状未定。職種問わず、読んで下さる方はいつでも探しています。
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