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ルイーズ・ブルジョワ展『地獄から帰ってきたところ 言っとくけど、素晴らしかったわ』は素晴らしい"ドラマ"だったわ

目覚めたときには遅かった。また今月もやってしまった。
白いリブパンツの溝に薄手の黒いショーツをやすやすと通り抜けながら辿った道筋がしっかりと記録されている。経血はいつも赤すぎて黒い。ショーツからパンツへと通り抜けたあとなので、そのさらに後のシーツへのしみは比較的薄いもので済む。絵の具の色と水気が段々となくなっていくような過程を見つめ、その全てをすぐさま洗わなくてはならない憂鬱に駆られながら、ルイーズ・ブルジョワ展:『地獄から帰ってきたところ 言っとくけど、素晴らしかったわ』の会期が今日までであることを思い出す。年始早々に本当は一人で行くはずだったところ、子どもたちが順番に風邪をひき、保育園や学校を休んだので行けなくなっていたのだった。

「おおきな蜘蛛、みにいこっか」
「びっくりするくらい大きいよ」
「水族館はまた行けるけど、この蜘蛛は今しか見れないよ」

本格的に痛くなる前に鎮痛剤を服用し、体と布に付着した経血を順に洗い流した後、スパイダーマンに夢中な6歳の息子に私はそう言う。本当は水族館に行く予定だったので、水族館と勝負をはれるようなキャッチコピーをまさに蜘蛛の巣のごとく張り巡らせ、無邪気な息子はそれにまんまと引っかかる。そうなると今度はたちまち罪悪感に苛まれる。
この10年、私にとって育児とはこの繰り返しである。

「じゃあ大きな蜘蛛をみて、ZARAで新しいブーツを買って、水族館にいこう」ZARAが好きな娘の機嫌をとるための買い物も挟んだプランを提案する。大量生産と廃棄による環境汚染や低コスト労働で搾取される人権などを鑑みればファストファッションの購入はその加担となること、さらには、ガザの犠牲を彷彿させる広告、ヘッドデザイナーからモデルへの反パレスチナと見られるメール、それを巡る不買運動のこと、も私は知っている。知っていながら日常において私は時にそんな誘いを持ちかける。こうして私はいつも結局、子どもより、世界より、自分を優先する。狡くて酷い方法で子どもを自分へと引き寄せる。自分の行きたい方向へと誘導する。無自覚ではない。私はそれが一つの暴力であることを自覚しながら、育児を理由に芸術を諦めることがちっともできないでいる。

出産後に本格的に演劇のライターとして活動を始めた私は、「母になっても演劇をあきらめない」という触れ込みの親子観劇の記事でそのキャリアをスタートしたと言っても過言ではない。そんなとき、私が演劇をあきらめない傍らで子どもが何かをあきらめなくてはならなくなったことはもちろん書かないわけで、母であることにおける生きづらさや、そんな中で子どもともに演劇を楽しむといったドラマがその中心となり、そうして、記事のそこかしこに「文化的かつある種の社会運動に懸命な母親像」が残ることになる。観劇アクセシビリティ向上に取り組む舞台芸術界においてもそういった記事は好評を得る。私は文筆家としてはとてつもなく無名だけれども、そういった記事は小さな業界では軽くバズって「親子観劇の記事の方ですよね」などと声をかけられたりもする。その度に私は自分と子どもたちだけが知っているこういう朝のこと、それらを子が世の中に発信できないことをいいことに自分に好都合な形で自身をプロデュースする自らの所業の残酷さを思い知る。

近年はその葛藤がより強くなったことや子ども自身の成長に伴い、子どもの意思決定に基づいて観劇を選ぶようにしているので、子どもが「行かない」と行った場合はあきらめるか、どうにか託児を見つけて一人で行くようにしている。しかし頻度としては後者の方がダントツで高い。
私はいつも育児よりも芸術をとる。そういう母親である。
そして、そのことはおそらく子どもたちが最もよく知っている。
さらに、今日のようにもう後に機会のない芸術を前にした時、私のそのギリギリの理性は瞬く間に霧散し、いつにも増して自分を強く優先する。
そうして傲慢な母親になかば連れ出される形で、子どもたちは森美術館に辿り着く。それもまた無自覚な暴力ではない。子ども向けの展示でないことはさることながら、(ショックを与えかねないと言う意味では)見せていい展示でないかもしれないことも知っている。知っていて私は六本木まで車を走らせる。
そんな状況下で見るルイーズ・ブルジョワ展:『地獄から帰ってきたところ 言っとくけど、素晴らしかったわ』である。短くも凄まじい体験になったことは言うまでもなく、そして、ひどくくらうものでもあった

第一章「私を見捨てないで」のテーマは「母との関係」と「母性」。
もう言葉を選ばずに言うならば、辿り着くやいなやガーン!という感じだった。女、母、妊婦、乳房、そして、母乳をモチーフとしたものが多く並べられているのだが、やわらかくあたたかな愛情というよりむしろ激しく暴力的なその側面を目の当たりにして、早くも私はその場で泣き崩れたくなるほどのショックを受けた。あまりの衝撃に、撮影可であるにもかかわらずこのセクションについてはほとんど写真が残っていない。息子をこの場に連れ出す口実にした「おおきな蜘蛛」こと『かまえる蜘蛛』が早い段階で現れたこともあり、入場後ものの10分足らずで「のどかわいた」「はやくう」と急かす息子を「もうちょっとだけ」とあやしながら、私はその都度絶望していた。
こうなることをはっきり分かりながら子どもを連れてきてしまったという罪悪と、そんな子どもの存在を一瞬でもきちんと煩わしく思ってしまうという残酷。その挟間に落っこちながらある作品を見つめていると、防衛反応からか頭が一瞬フリーズしてしまって、足に巻きついていたはずの息子を一瞬見失い、「こら、勝手にいかんのよ」とあわてて連れ戻した時に背後にいた人に舌打ちをされた。
「子連れでくる場所じゃないよね」
こういうことは他の場所でも時々あって、その都度「幻聴ならいいのに」という気持ちになりすぎていて、もはや本当に聞こえた声なのかすらわからない。わからないけれど、迷惑をかけていたならきちんと謝りたい気持ちと1ミリたりとも悪びれたくない気持ちで私はまたも罪悪と残酷の間をいったりきたりと揺らぐ。そんな自分に向かって、作品や言葉が真正面から容赦なく突き刺してくる。

「荷を担う女は荷に対して責任があり、
その荷はきわめて脆く、
女は責任を一身に負う。
そう、それはよい母親ではないかもしれないという恐れ。 LB」

あまりにもタイミングが合いすぎていた。ドラマが立ちすぎていた。そして、この段階では、この展示とそのキュレーションに私はただただ感銘を受けていた。

第二章「地獄から帰ってきたところ」では、おもに「父へのトラウマと確執」がテーマとされる作品が並んでいた。そこにもまた「拒絶」だけでなく「執着」が横たわり、6歳の息子ですら「これは歯で赤いお肉を食べているところ」というほどの、まさに「地獄絵図」のようなおどろおどろしい『父の破壊』という作品もあれば、精巧に男性器を再現した彫刻であるにもかかわらずその名が『少女(可憐版)』であったりする作品もあって、拒絶/執着/攻撃/依存/復讐といった行き場のないアンビバレントな葛藤に空間そのものが支配されている、と感じるほどであった。とりわけ(ゆっくり読んだり見たりができなかったので、正確ではないかもしれないけれど)ある作品に添えられた男性器に対する「恐怖を抱きながら守らなければならないものと思っていた」といった旨の文章を読んだ時、自分の中にもある、しかし人には到底話せなかった矛盾と葛藤をズバリと言い当てられた気がして血の気が引いた。

尽くしてしまう。世話をやいてしまう。多少自分がリスクや不利益を被っても相手がそれをほしいなら頑張ってしまう。男性や男性器に恐れを抱きながら、時にそれを欲し、自分の全てを使ってでも癒し、満足させたいと思ってしまう。金銭にはじまりセックスに至るまで、こと性愛において私は確かにそういう歪んだ側面を持っていて、数々の過去の厄介な恋愛とその破綻がそれに起因していることにも流石にほとほと気づいている。そんな私と対男性のコミュニケーション(というよりむしろディスコミニュケーション)を知る親しい友人や知人は、度々「母性が強すぎるんだよ」と言い、私も長らくそう信じて疑わなかった。だけども、妊娠と出産を経て、なぜかそれが子どもに対してはいまひとつ発動していない気がする、という不具合のようなものを感じるようにもなった。
前述もしたが、「母親として自覚が足りていないのではないか」という焦燥と葛藤はこの10年絶えず私の中を通底する澱のようなもので、そのはじまりはまさに小さな乳房の中に多分に生成された母乳であった。(乳房の大きさと母乳の量は比例しないと頭では理解しながらも)その現象は、ぴたりと私自身の不均衡を表象しているようで、責め立てられている気持ちになったほどだった。今思うと、シンプルに産後うつだったのかもしれないけれど。授乳によって持っていかれた時間と体重、そして物理的な栄養の放出によって肌や歯や髪が荒れたり、くすんだり、弱っていくことに恐れを抱き、断乳して何年経ってもその感覚がなんとなく続いていて戸惑っている。そもそも血液を材料にして生成されているにもかかわらず白く半透明なその液体そのものに私は結局慣れることができなかったようにも思う。授乳をやめて程なくして生理が再開されたとき、「またこれと付き合ってはいかなくてならないのか」とうんざりすると同時に、体から追い出された血液がきちんと追い出されるものらしい色になっていることに安堵を感じたほどだった。
股からは今この瞬間にも次から次へと経血が流れる。
成分としては母乳と同じものが流れている。

遡るけれど、第一章に書かれたこの言葉がことあるごとにリフレインする。
生まれるときは追い出し、セックスの時は迎え入れる。
いらなくなった血と育まれるべき命が同じところから出てくる。
朝、洗い流した経血のしみに似た赤で描かれたいくつもの絵を通り過ぎるたびに、女性の身体の造りについても考えを巡らさずにはいられなかった。
男性器についてもまたそうであった。
男性によって男性器が「息子」と表現される時に抱くえも言われぬ嫌悪感、幼少期に父と風呂に入った時に怖くてはっきりと見られなかったこと、しかしいつからか自分はそれを自らの意思で口や膣に迎え入れているということ、そして、自分の息子のそれを大切なものとして扱い、清潔に保とうとするときに、これもまた(ともすればかわいい)「息子」の一部である、とどこかで思って、その後ドキッとしてしまったこと。
父や恋人や夫や息子と対峙する、娘としての自分、女性としての自分、母としての自分。その全部が絡み合って、どれもが離してくれないような。なのに、いや、だからか、とてつもなくこわくて、さみしい。そんな体感になる場所だった。しかしこの時もまた私は、こんなふうに自分を強く揺さぶるこの展示をやはりただただ素晴らしい展示だと思っていた。(しかしながら第二章に至ってもやはり写真が全然残っていない。心身ともに撮る余裕がまるでなかったのだと思う)

続く第三章では、そんな一、二章の傷の修復や心の解放を模索した作品が展示されていた。『青空の修復』と銘打ってある通り、これまでの血液や内臓が想起されるような激しい赤から反転し、(ところどころそういった作品も点在はするものの)青色や白など淡い色合いが目立つ作品が多く並んでいたように思う。
中でも『ビエーヴル川頌歌』をはじめ、川のそばのタペストリーの修復工房で生まれ育った自身の出自、すなわち生い立ちを編み直すような作品が印象的で、自身が愛し、親しんだ衣類などを用いてつくられた布製の作品群が飾られた壁は、その素材も相まって、とてもやわらかく、かわいらしく、おだやかな余生のようなものをも彷彿させた。
最後には白いレースのワンピースを身につけた人間が木に見立てられた作品があり、その木には青い実が豊かに実っていたが、人間の片足は損なわれていた。そのワンピースの膨らみが風のせいであるならば少女にも、妊娠によるものならば妊婦にも見えるもので、そのどちらもであるのだ、と私は解釈した。「修復」と呼ぶには痛々しい姿だけれども、「母との関係」や「父へのトラウマや確執」といった数々の葛藤や、それによる傷を負いながらも人生や創作へと突き進んだ彼女自身の姿そのものであることも理解はできた。

そうして、じっくりとは程遠く、ものすごいスピードで私はルイーズ・ブルジョワ展:『地獄から帰ってきたところ 言っとくけど、素晴らしかったわ』を見終えた。

なんとか見られてよかった。それは本当に心からそう思っていて、自分についての極めて私的な発見や確信にも導かれたことも収穫として非常に大きかった。
だけど、だけどだ、この第三章を見終えたあたりからふんわりと違和感を覚え始めていた。頭の回転も心の整理にも時間がかかる方なので、この気持ちの正体がおおよそ何であるかに気づいたのは一晩あけてのことだった。
それは「いささかドラマが過ぎる」ということだった。
「あまりにも現代に即した演出であった」という体感が拭えなかったのだった。

美術には詳しくないけれど、商業である限り仕方のないことかもしれないし、また、そういった私的な経験や感情と作品が強く手を繋ぎあっている作家性である以上、この形になることも十分に理解ができた。その全てを理解した上で、私はこの展示は彼女のアーティストとしての在り方よりも、個人としての生き方を現在という時代から強く照射したものであったと思った。無論、私自身がそういったものに強く心を動かされるという傾向があり、奇しくもそのことがこの体感をはっきりと証明する証となったのであるのだけれど。だから、私はこの展示が感情的に言うなれば非常に好きだし、私個人においてはとっても必要だった。からだを丸ごと持っていかれるくらいにくらったのだからそれはそう。だけど、そのことは良いことなのか、と言われたらたちまち口をつぐんでしまうのだった。

ちなみに、ルイーズ・ブルジョワは自身を「フェミニズムアーティストとして公言していない」のだと言う。だけど、この展示そのものはフェミニズムであると感じたし、現に女性運動に関心のある私自身にも強く響くものがあったし、何より男性優位であった当時の美術界において彼女の評価が遅れたことは事実であって、そのことは彼女の作品の素晴らしさとともに後世伝えなければならないことだとも思う。
ただ、娘として、女性として、妻として、母として、のパーソナルな言葉が立ちすぎて、それらが現代におけるフェミニズムという文脈に沿ってコラージュされている空間のインパクトが強すぎて、彼女のアーティストとしての原点や意向、ものづくりにおける物理的な意味合いでの創意は見えづらかった気もしている。
メンタルが鮮烈すぎて、フィジカルがぼやけたという感じだろうか。
それはたとえば、どうしてその素材にしたのかとか、どんな技術が彼女の特徴であったのかとか、そういったことかもしれないし、目まぐるしく先鋭的な彫刻から牧歌的にすら見える布作品の制作に至るまで彼女がどんな手順でそれをつくっていたのか、というアプローチなのかもしれないし、美術品の創作については詳しくないけれど、他にもフィジカル的に語られるべきこともあったのかもしれない、となんとなく思った。

最後の年表に至っては、もう流石に息子ののども機嫌も限界をむかえており、全てを見る余裕は全くなかったけれど、彼女がものづくりを始めたのは11,12歳頃、家業であるタペストリー修復工房の手伝いを始めたことからだ、と記してあった。
そのはじまりは、「欠落部分」を描くというものだった。
タペストリーはどうしても下部が擦り切れる。そのため人物の足を描くのが上手くなった、とも書かれていた。
それを読んだとき、このことは彼女の内なる感情すなわちメンタルとは無関係の、単なる事実ではあるけれども、彼女のアーティストとしてのキャリアにおいては非常に重要な意味を持っている出来事ではないかと感じた。それこそ展示内のどこかの一角に記してもよかったくらい。(もしかしたら私が見落としていただけで、書いてあったのかもしれないのだけれど)。展示にも身体の一部が欠落した彫刻がいくつかあったし、そのことはこの原点とどのくらい関係があるのだろう、と考えたりもした。

「非常に貴重な作品です」とその場でアナウンスされるくらいひときわ丁重に設営されたと思しき『ヒステリーのアーチ』というブロンズ像にも頭部がなかった。たしかにその存在感は圧倒的で、意図を知っていっそうにグッとくるものがあった。
同時に、その空洞の向こう側にヒステリックな東京の街並みと、この場においては修復のシンボルとなっている青空が同時に映し出される、という演出にもまた色々と思うところがあった。泣きそうになるくらいに色々なことを思う作品だった。

母や父など親しい人との間に生じた軋轢やトラウマとたたかいながら多くの作品を残した彼女が、作品を残すことでその裂け目や傷を修復できていたならいいな、と願うけれど、彼女が存命でない限りは修復が完全に叶ったのかもわからないのだとも思う。(これは往々にしてどの展示もそうなのだけど)展示では最後にカタルシスが用意されていて、それのみをまともに受け取ったら、彼女の生き方にエンパワーされる気持ちにすらなってもおかしくないし、それもまたいいと思う。
だけど、これは一部なのだと、抜粋であり、編集されたドラマなのだとどこかで思っておくことも必要のことのように思えた。彼女が存命でないからなおのことそう思った。そして、この展示に心を動かされたこととそのことを一緒にもっておくことはできるのではないか、とも。

余談なのだけど、前にも美術展で似た気持ちになったことを思い出す。
遡ること17年前、2008年に同じく六本木の国立新美術館で見たエミリー・ウングワレー展:『アボリジニが生んだ天才画家』である。(調べたら、エミリーとルイーズは奇しくもおおよそ同じ年に生まれているらしいこと、キャリアの辿り方は違うけれども本格的に評価をされ始めたのが同じ年の頃ということが発覚し驚いた)

エミリーが画家としてのキャリアをスタートさせたのは晩年のことで、70歳から亡くなるまでの10年ほどで多くの作品を残し、評価された。美術展で見たそれらは、長く見ているとこちらの気がおかしくなってしまうほど凄まじい迫力の鮮やかな点描画ばかりだった。それが、最後の章に突入した途端にまるで別人のように画風が変わるのだけど、それらは死の数日前に一気に描かれたものだということだった。それはほぼ一筆で描いたように見える淡い色彩の重なりだった。もうずいぶん前のことだからはっきりは覚えていないけれど、「死を前にすると見える景色が変わる」、「やさしい最期であったのだろう」的な文章だったか、アナウンスだったか、その場で誰かが言っていたことなのか(ももう分からないのだけれど)とにかくそういうことを受け取って、当時二十歳そこそこだった私の中で、彼女はやさしくおだやかに死を迎えたアーティストとして刻まれていた。
でも、その後しばらくして別の画家のドキュメンタリーを見た後に、「いや、もしかしたら体力的にもう点描が叶わなかっただけで、本当は最後まで点描を描きたかったのかもしれない」とか「ここにきて美術家としての第二章を築こうと新たな画風に挑戦しようとしてたとしたら…」とか、そういう可能性を考えるようになった。研究をしている人や実際に会った人などがいればわかるかもしれないけれど、それでももうエミリーはが生きていない限り、事実がどれであるかは分からないのだな、ということをその時もなんとなく思った。ということを思い出したりもした。

ちなみに、『地獄から帰ってきたところ 言っとくけど、素晴らしかったわ』というタイトルについては、私はとてもいいと思っていたのだけれど、友人が『「わ」って語尾いる?』と言っていて、それは、女性性の強調とかキャラ化しすぎてやしないか、といった議論だったのだけど、私は完全に関西弁の最後をほっぽりだすような「わ」のニュアンスでとらえていて全然気にならなかったのが、面白いなと思った。(「言っとくけど」という前置の影響も大きいと思う。後置だけど「知らんけど」にニュアンスが似ている気がする。でも、『地獄から帰ってきたところ素晴らしかったわ、知らんけど』はさすがにちがう気がする。)
私と同じく関西で生まれ育った人の中には似たことを思った人もいるんちゃうやろか、と思ったりもしていて、今度聞いてみようと思うし、関西の友人に限らず、この展示を見たみんながどう思ったのかを色々知りたいなと思っている。

結局、くたびれて水族館に行く気もうしなった息子は、近くでやっている『ポケモン×工芸展 美とわざの大発見』のポスターを見つけるなり「こっちがいい!」となり、速やかにその機嫌を巻き返すべき麻布台まで走ったのだが、当然ながらチケットは完売。チケットがないとショップにも入れず、ただただふてくされていた。
帰りに駅の目印になっている方の大きな蜘蛛に寄ったら少しだけ嬉しそうだったけど、本当に少しだけだった。

私がルイーズ・ブルジョワ展:『地獄から帰ってきたところ 言っとくけど、素晴らしかったわ』をあきらめなかった傍らで、子どもが水族館と、さらには『ポケモン×工芸展 美とわざの大発見』をあきらめなくてはならなくなったことをここに記しておこうと思う。結局、ZARAではなく西松屋でブーツを買えてホッとしたこと、そこでリザードンがプリントされた新しいパジャマも買ったこと、そして、今日も今日とて私は育児よりも芸術をとったこと、子どもより世界より自分を優先したこと、その後ろめたさを「ものを与える」という短絡的な解決で穴埋めするような母親であるということ、そして、そのことをおそらく子どもたちこそが最もよく知っているということも。

最後に、(肩書き問わず誰しも批評をしてもいいと思っていることを前提した上で)私は批評家でないし、美術に特化した文筆家でもなければ、美術展を見に行くこと自体がそんなに頻繁なことでもないので、当然ながらこのテキストは美術批評のつもりで書いてはいない。
ただ、やはり私は自分の私的な生き方や在り方、また、性愛について強い興味関心を寄せる文筆家として、この展示を見たときの自分の体感を記録せざるを得ない衝動に駆られたのだった。このことについて、正気で綴る必要があると感じたのだった。それは文筆家としての芸術の衝動と言ってもいいのかもしれないと思う。

「芸術は正気を保証する」

空間にコラージュされた言葉たちやその時に心身を駆け巡ったドラマたちを間に受けすぎないようにしようとは思いながらも、やはり頭の中で彼女の残した言葉が反芻される。そして、こうして文章をラストにかけてたたみかけていくとき、やはりこれもまたコラージュであり、ドラマである、と痛感せざるを得ないのだった。

ルイーズ・ブルジョワ展:『地獄から帰ってきたところ 言っとくけど、素晴らしかったわ』を私は見た。最終日に、乗り気でない子どもを二人連れて、股から血を流しながら見た。事実はそれだけ。それだけがドラマではない、事実なのだった。



文/丘田ミイ子
参考と引用/ルイーズ・ブルジョワ展:
『地獄から帰ってきたところ 言っとくけど、素晴らしかったわ』(森美術館)
エミリー・ウングワレー展:『アボリジニが生んだ天才画家』(国立新美術館)

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