【平日随筆】明転
私が初めて観た演劇は、公共ホールはあれどこれといった劇場は一つもない滋賀の実家、その食卓で姉の演出によって上演された野田秀樹の『パンドラの鐘』だった。俳優もまた姉であり、そして紙でもあった。
蛍光灯の電気スタンドと赤や青や黄のセロファンを駆使した照明、当時主流だったラジカセで間合いを見極めて手動でカセットテープを再生・停止する音響、シルバニアファミリーのファーニチュアのような繊細な小道具……幼少の私にとっては、そのどれもが本当の神業に思えた。
何より、表情の変化を施せない紙粘土の俳優1人1人に喜怒哀楽、つまるところ魂が吹き込まれた瞬間、そのいくつもの顔が明転によって照らされたあの瞬間は生涯忘れることができない。
私の演劇観の原体験/ルーツはきっとあの紙粘土にある。
物語のクライマックス。こぼれた水滴がひとつふたつとくっついて、ひとつの大きな水たまりになるように、其処彼処に散らばったセリフが結末へと帰結していくその様を、息を飲み、小さな膝を抱えて見つめていたこと。その体感は身体が大きくなった今もなおはっきりとした手触りで私の中にある。鐘とともに葬られた秘密が目の前に浮かび上がったあの時、カラーセロファンによって照明がパチンと変わったあの瞬間、私ははっきりと演劇を好きになったのだ。
その後、私が初めて”劇場”で観た演劇は、同じく姉をはじめとする日芸の生徒が卒業公演として上演した、井上ひさしの『花よりタンゴ-銀座ラッキーダンスホール物語-』だ。戦時中を逞しく生きる、自分と同じ四人姉妹の話だった。
江古田の稽古場の端っこで妹と体を寄せ合い、やっぱり三角に体を折り畳んで、姉扮する蘭子が「森川くん、タンゴ!」と言うのを聞いたのは、まだ電車の乗り換えもままならなかった小学生の頃。
あの時、8歳離れた姉がいる東京はすごく遠くて、新幹線のホームで窓ガラス越しにするお別れはさみしくて、演劇はとても眩しかった。
その後、『花よりタンゴ-銀座ラッキーダンスホール物語-』は銀座で再演された。振り返ると、再演という言葉すらこの時初めて知ったような気がしている。
私は演劇のことをまだ何も、本当に何も知らなかった。
それでも演劇も演劇を追いかける姉も大好きだった私は、それと同じくらい文章を書くことが好きな大人になって文筆の道に進み、やりたいことがあって出てきたはずの東京の地で、やりたいことよりも優先してしまうような駄目でのっぴきならない恋をした。
奇しくもライターになる前からそして今でも一番好きな劇団、そこで演劇をしていた人だった。曲がりなりに結婚をして、頼りないままに子どもを産んだ。なんとか文筆業を続けながら、そしてやがて演劇について書くようになった。
仕事のしたことのある編集さんを通じた紹介によって新たな仕事を得ていくことがほとんどのこの業種で、全く縁のない媒体に営業に出向くというのには相当な勇気を要した。ましてやこれまでファッション誌のライターとして活動してきたいわばアウトサイダーである。しかも乳児の育児中でフットワークの軽さを売りにもできない。演劇が「好き」というだけで、これといったアカデミックな知識も豊富な観劇経験も持たない。つまりは丸腰状態だ。
後にも先にも営業に行ったのはあの一度きりだけど、月面を歩いたアームストロング船長よろしく、その一歩は小さくしかし偉大な一歩だった。
それからの私は生活の隙間にねじ込むように演劇を詰め込んだ。次第に稽古場や劇場に赴くことが増え、好きな劇団や作品はみるみる増えた。されども、歩けども歩けども、月はどこまでも果てしなかった。
もう他人事とはいかない全部を観てきたねじリズム、いつ何度観たって圧倒的に心をさらっていく唐組、ハイバイの『夫婦』にはかつて離婚の危機すら救ってもらったし、「家庭と演劇の両立」という私の人生の目下スローガンは、俳優の町田マリーさんと中込佐知子さんのユニット、パショナリーアパショナーリアの哲学をそのまま拝借させてもらっている。
と、こんな風に書き出してしまうと、これまで私の心を占拠した一つ一つの劇団や作品の名前を漏れなくここに挙げ連ねたい気持ちに駆られてしまうけれど、きっと書ききれない。正確に言うと、あれもこれもと順不同に書いているうちに思いの量や強さに反して溢れてしまうことが出てきてしまう気がしてもどかしいのだ。
そして、思いはあっても溢れてしまうだけの、生まれながらに忘れんぼうの人間の体がこんなにも忘れたくないと思う心を持っていること、それだけの演劇の記憶が自分の中にあることを嬉しく思った。
いつしか馴染みとなった下北沢で焼き鳥を食べながら、いつしか毒すら吐けるようになった同業の先輩と演劇のことをあれこれ話す時には毎回「このまま夜が更けなければいいのに」と思う。
胎内にいた頃から都会の劇場に通っていたその人は、私なんぞ足元にも及ばないほどの劇体験と経験とそれを語る豊かな言葉を持っている人だけど、いつも私の考えや素朴な疑問に耳を傾け、時に頷き、また時には新たな考えを差し出してくれる。演劇の良さや愛だけでなく、良くないところや変わってほしいと願うところをも語り合い、仕事の喜びや楽しさだけでなく、もどかしさや苦悩も分かち合える数少ない同志であり、同時に友人でもある。
実家にいた頃から映像でその姿を見ていた大好きな俳優が、人生におけるとても大切な友達になって、いつからか嫌なことがあった時、嬉しいことがあった時には真っ先に会いたくなる人になった。
その友達が出産後の私に言ってくれた「ミイ子の夫もミイ子の子も大好きだけど、私はミイ子が一番大好きだよ」という言葉は、母や妻という属性と自分との狭間で、家庭と演劇の両立の最中で、それでもいつだって個人でありたい、と願う私を支え続けるお守りのような言葉だ。
夫は、家族になってもやっぱり舞台に立っている時が一番いい。家になんか全然いなくていいから、できる限り稽古場に、劇場にいてほしい。その演劇と引き換えに私が無理をせざるを得ない時もあるし、そんな時間と労力の消費に疲れてしまうこともある。マジで家から放り出し、なるだけ人気のない道端に捨ててやろうかと思うこともある。なんとかかんとか結び直してきた奇妙な形の家族だ、この先のことだって正直分からない。完全に離れてしまう日だって来るかもしれない。それでも、家庭がどうであっても、二人がどうなっても、私がどれだけたくさんの演劇を観て、どれだけたくさんのことを書いても、夫にはどこか最後までは手の届かない、舞台の上の人でいてほしい。家ではなく劇場で私を、誰かを魅了する、そんな存在でいてほしい。そこに無理はない。いつの間にか心の底からそう思うようになっていた。
いくつもの”いつしか”や”いつからか”や”いつの間にか”を重ねて、今がある。
演劇があったから、友達ができた。同志ができた。家族ができた。
演劇は、”いつしか”生き方になった。
演劇のライターとしてのキャリアをスタートさせてまだ間もない、ある夏のことだった。
私はこまつ座の取材を担当することになった。
井上ひさしの戯曲が所狭しと並ぶ夢のような小部屋からは、マンション越しにスカイツリーが見えた。目の前にはそれら戯曲を現代に受け継ぐ、娘の井上麻矢さんがいた。
「森川くん、タンゴ!」
時は流れに流れても、蘭子の声が聞こえる気がした。スカイツリーの部屋を出てから、じわりじわりと頭や胸が熱くなっていった。私も姉も同じ東京に住んでいる。電車の乗り換えはできるけど、ホームでのお別れはさみしいし、演劇は今も熱く眩しい。
こんな日がくるなんて信じられない。
他にもそんな奇跡のような邂逅はある。
数年前私はついに初めて野田秀樹、という文字を原稿に書いた。
ハイバイの、パショナリーアパショナーリアの劇評を書いた。
家ではなく劇場で『パンドラの鐘』を二回観た。隣には姉が座っていた。
夫が唐組に出演をして、私はそれを取材した。台所や風呂から唐十郎のセリフが聞こえてくる生活がくるなんて、「テント番」と書かれたTシャツを干す日がくるなんて信じられないことだ。
こんな日がくるなんて信じられない。
これからだって何度もそう思いたい。
慣れることなく、興奮をしていたい。自分の人生と演劇の接続に、遠くなったり近くなったりするその逢瀬にいちいち感激していたい。
私が演劇を好きになった原体験は姉の姿にあるけれど、私がこんな風に演劇を愛し、続けてゆく過程には誰でもない私そのものの姿が、歩みがある。
演劇は、私が初めて自分で切り拓いた道だった。
そのことを私は人生における「明転」のように思う。
M0が段々と大きな音でかかって、演劇が今まさに始まるという時の暗転もドキドキして好きだけど、その景色を取り込んだ体が新たな朝を迎えるような瞬間、これまでの風景の重なりが一つの光量となって舞台と客席を一つに照らし、包みゆくような明転が、やっぱり私は大好きなのだ。
明転のその後、今日も私はどこかの劇場を後にする。
月を歩きながら月を見るようなこの生活を、今の私はとても気に入っている。
©︎『明転』/丘田ミイ子
*+*+What is 【平日随筆】*+*+
「35歳までに自分の連載を持ち、書籍化する」私にはそんな夢がありました。
チャンスは何度かあったがどれも白紙、どころかチャンスがピンチになる経験等もし、来月6月に遂に36歳に。
だから今日から約1ヶ月、35歳の私の為の連載【平日随筆】始めます。
更新は週5。諦めの悪い自分が時々好き。よかったら読んでね。
*+*+Who is 丘田ミイ子*+*+
丘田ミイ子(おかだみいこ)
1987年生まれ、滋賀県出身。大学卒業後、フリーライターの道へ。祥伝社刊行『zipper』にてライターデビュー。
その後、出産をきっかけに2014年より同社『nina`s』で5年間活動。その傍ら、『リンネル』、『Lala begin』、『LEE』、『FINEBOYS』、『赤すぐ』、『Olive』などの雑誌や『She is』、『SPICE』、『ローチケ演劇宣言!』、『演劇最強論-ing』、『DRESS』、『CHANTO web』などのweb媒体、その他企業メディアや広告媒体などへ活動の場を広げる。
ライターとしての執筆ジャンルは演劇、映像作品に関するインタビューやレビューなどのカルチャーを中心に、ファッション、ライフスタイルなど。
近年は、小説やエッセイの寄稿も行う。直近の掲載作に、私小説『茶碗一杯の嘘』(『USO vol.2』収録)、エッセイ『母と雀』(文芸思潮81号 第16回エッセイ賞優秀賞受賞作として収録)などがある。
2015年より育児と仕事の合間を縫って書き始めた初の長編小説を2022年に脱稿。破綻した恋愛と東京の街、ある時は劇場、またある時は雑誌編集部で他者の才能に翻弄されながら”ある時”を迎える駆け出しの文筆家の3年間(2011-2014)を描いた、85%の本当と15%の祈りから成る私小説的物語。版元・刊行・発表形式は現状未定。職種問わず、読んで下さる方はいつでも探しています。
詳しいお仕事歴や掲載媒体のリンクは以下へ
▼▽▼