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コロナ後遺症による不思議な体験

コロナ後遺症。
苦しんでいた人が、皆さんの周りではいないだろうか。

私は後遺症により人生を狂わされた一人である。後遺症が原因で仕事を辞めざるを得ない状況に追い込まれたからだ。今も通院している。

後遺症がひどかったあのころ、自分の身に起きたことがとても不思議だった。
何を言ってるんだと思われるかもしれないし、信じてもらえないかもしれないが、当時の日記や音声を振り返りながら、記録として残しておこうと思う。
(長いので流し読みしていただいて構わない。)

コロナ感染からの後遺症

2022年7月8日。首相が襲撃され死に至るという衝撃の事件が起きた日。

私はコロナに感染した。

高卒者向けの合同説明会で、総務のはずが人事としてブースで高校生に会社の説明をしていた。

新卒で入った会社で3ヶ月目の新人であった。
人材系の会社で長期インターンをしていたこともあり、元々人事には興味があった。
その日はかなり疲れた一日だったが今まで感じたことのない充実感があった。

7月15日 コロナ陽性
合説に参加していた同僚は全員陽性反応が出た。一般的な症状だったと思う。40℃の高熱が出て、身体のだるさを感じたくらいだ。

7月21日 コロナ明けの出社
笑うと顔が引きつって痛く、ずっと眠気。
時々ボーッと作業は止まるし、耳も遠い。
急に胸の下辺りがチクチク。頭痛。
帰宅後に微熱。訳もなく涙が出る。
とにかく身体が重かった。

7月22日 会社を早退

7月24日 休日、10時間の睡眠
息が苦しく、立っているのもしんどい。

7月25日 会社を早退
16時過ぎまで粘ったが、泣いて17時過ぎる。
息が苦しい。泣きすぎて、しんどい。

7月26日 会社を休む
朝食のパンを食べられなくなった。
泣いて休んだ。

7月27日 救急車に運ばれる
スマホは金塊、ペットボトルはダンベルのような重さに感じる。ペットボトルの蓋も開けられないくらい、身体に力が入らない。

壁や棒がないと立てず、歩けなくなる。

その日の夜、ゴミ出しから自分の部屋へ戻る途中の階段で息切れし、動けなくなる。幸い寮だったので同期を呼び出すことができ、階段を上るときに支えてもらった。

無事部屋に着いて、玄関に倒れ込んだ。別れたあと、私の様子を心配した同期がインターホンを押してくれた。何とかドアを開ける力があったので開けてから動けず脱力状態の私を見て、同僚を集めて話し合いの結果、救急車を呼ぶことに。
課長や係長も病院に駆けつける事態になった。
車椅子で皆さんの前でお騒がせしましたと謝罪。

8月3日 休職決定
症状がひどく、文字でしばらく記録を残せないブランクがあった。
病院の先生から診断書が出され、休職が決まる。倦怠感、四肢筋力低下との記載。

8月5日 
肺、胸の息苦しさ、手足の痺れ、発熱、また立ち上がれなくなる。左脚が犬の骨🦴型に痛みあり。

8月6日 文字が打てるようになる
物を持つ力がない。右脚が犬の骨🦴型に痛みあり。腕の痛み、胸の苦しさあり。
グミとゼリーを食べる生活。

8月7日 文字が打つのがしんどくなる
音声をテキストに変換する機能を使い始める。
勉強を再開したところ、手に力が入らなくなった。PCのクリックやスクロールがしんどい。
息切れ、心臓チクチク。散歩に行く予定だったが疲れきって行けず。直立不動の時間がしんどい。微熱。
左脚の膝下に涙が出るほどの激痛が走る。
なんか急に悲しくなって久々に泣く。
胃痛。頭痛。自律神経の乱れ。熱。腕の痛み。
右半身が左半身より体温が高い感覚。
舌、味覚が敏感。いつもの緑茶が濃く感じ、1.5倍に薄めて丁度いいくらい。舌触りのザラザラ感あり。

8月8日 遺言書を書き始める(未遂)
のどが苦しい。体重が30kg台目前。不眠。
心臓にも、足にも痛みが走り、意志がないと呼吸できないような状態になり、命の危機を感じる。そこで遺言書を書こうと思い立つが、まえがきで終わる。毎日今日はどんな症状が自分を襲ってくるのだろうと痛くなるたびに怖く思っていた。

8月10日 病院に行く

8月13日 
微熱。両手とも力が入らず使えないため、ごはんを食べさせてもらう。髪も一人では洗えなくなる。顔に少し手が当たっただけで激痛が走る。

コロナ後遺症による不思議な体験

8月15日 前世のことが分かる
当時の私の頭の中は、自分や相手の前世がどんな姿だったか、分かるモードであった。例えば妖精、羊、うさぎ、ベイマックス(笑)といった具合に。もはや正しいのかは不明だが、何かを感じ取る力があった気がしていた。

あたかも本当のことだと信じて疑わなかったので、家族にみんなの前世が何だったかを話していた。ちなみに今はそういった感覚は全くない。

8月18日 意識が朦朧とする
20時頃、私は自分の部屋にいた。
おもむろに父の就活日記を取り出して、あるページ(覚えていない)を読み、目に情報を入れた瞬間、脳に衝撃が走った。

【そういうことだったのか…!】

おそらく父に関することだろうが、何がそういうことなのか、そういうこととは何のことだったのか全く思い出せない。だが当時は頭の中で繋がった感覚というか、何かのつじつまが合ったと感じたのである。

そして私は倒れた。意識が朦朧としており、母の呼びかけにも応じなかったという。
母は反応がなく身体も硬直し動かない私を、廊下から引きずってリビングまで持ってきて、近くに住んでいる私の姉とその旦那さんを呼んだ。
そして救急車を呼んだ。血圧、酸素濃度、瞳孔の大きさを見てもらったが緊急性はないとのことで、結局病院には運ばれなかった。

私の身体は動かない、というか動かせなかったのだが、涙声で心配している様子の姉が私の頭を撫でた途端、姉の気持ちが伝わったのだろうか、私は身体を動かすことができるようになったのである。

そのあとは普通に起き上がって、後頭部の痛みや吐き気はあったものの、1時間くらい家族で会話していた。

8月19日 診察を受ける
午前10時半頃、かかりつけ医に電話し、診察を受けた。脳に炎症を起こしている可能性が高いとのことであった。入院の可能性が出てきた。

8月20日
食欲がない。起き上がれるときとそうでないときがある。時折身体が震えて、飲み物を飲む力がなくなる。頭の中でパチパチ音が鳴る。

8月21日
お風呂に入る元気がない。グミが噛めない。
頭痛でフラフラして動けず。再び意識が朦朧として、母に飲むゼリーを強引に食べさせられたが飲み込めず。何度か身体を揺すられて起こされながら、半分くらいは食べた。微熱。顔の筋肉が硬直。体重は30kg台になる。

8月下旬 入院
そこから私は入院が決まる。
入院当初は車椅子生活であった。身体が思うように動かせずしんどかったが、あることをしているときは身体が楽に感じた。

それは、ジブリの『風立ちぬ』で使われている、松任谷由実さんの『ひこうき雲』という曲を脳内再生し、その曲に合わせて寝転がったまま両膝を立てて足を左右に揺らすというものである。

『ひこうき雲』は松任谷由実(荒井由実)さんが小学校時代の同級生の死を元に制作された歌である。

白い坂道が 空まで続いていた
ゆらゆらかげろうが あの子を包む
誰も気づかず ただひとり
あの子は 昇っていく
何もおそれない そして舞い上がる

空に 憧れて 空を かけてゆく
あの子の命は ひこうき雲

高いあの窓で あの子は死ぬ前も
空を見ていたの 今はわからない
ほかの人には わからない
あまりにも 若すぎたと
ただ思うだけ けれどしあわせ

空に 憧れて 空を かけてゆく
あの子の命は ひこうき雲

空に 憧れて 空を かけてゆく
あの子の命は ひこうき雲

歌ネット

まさに生死を彷徨っていた(実際はそんなことはないのだが、そう感じていた)私はこの歌に合わせて足を揺らしていた時、まるで足がプロペラとなって天国へ登って行けそうな気がしたのである。

前世のことが分かる気がしたり、ジブリの世界をリアルだと錯覚していた当時の私は、自分の実体験を語って宮崎駿さんや松任谷由実さんと対談できると本気で思っていた。

それから全身麻酔をかけ、脳に電磁波を送る手術を10回受けた。手術中はBGMを流すことが許可されていたので、ジブリの曲をリクエストしていた。

手術8回目くらいから急に元気になった。

11月4日 退院
途中で転院したりはあったが、その後は順調に回復。晴れて退院することができた。
退院祝いにジブリの曲の楽譜を買って、ピアノで演奏していた。
睡眠時間は多めに必要だったし、抜け毛も多く、文字の羅列が一枚の写真に見える症状で本が読めないということはあったが、
それ以外は全て良くなっていた。

2023年1月末 退職
定年まで働くつもりで入った会社だったが、休職期間満了で、退職せざるを得ない状況に追い込まれた。復帰の条件が通院の必要なく、全国転勤可能な状態という非現実的なものだったので諦めた。

コロナ後遺症、今思うこと

きっと幸せなことなのだろう。私は後遺症の辛かったことや痛みを全くと言っていいほど思い出せない。当時の記録を振り返ってそんなことがあったのかと我ながら驚いている。

今は経過観察で通院しているが、いたって健康であり、普通の生活を送れている。
もしあのとき家族や同期、看護師さんがいなければ、どうなっていたのだろうと思う。私にとっては命の恩人であり、彼女たちのおかげで生き延びた人生だと思っている。

確かにコロナ後遺症で人生変わってしまったことは事実だ。あのまま健康に働けていれば…と思うことだってある。
しかし、もしあのときコロナにかかっていなければ出会えていない、素敵な方たちがたくさんいるのもまた事実なのである。
だから私は、コロナ後遺症という病気は自身に与えられた試練だったと捉えている。
全ての出来事には意味があって、運命とは偶然ではなく必然であると、そう思って生きている。

生きていること、健康でいられること、好きな人たちに囲まれて一緒に日々を過ごせること。
全てが当たり前ではなくて、とても幸せなことなのだと、そう気づくことができた。

生まれた瞬間から、徐々に死へ近づいていくのは皆同じである。
4000週間。限られた人生という時間をどう使うのか。誰のために何のために使うのか。何をこの世に残せるのか。
きっとこれからまた考えが変わっていくかもしれないが、一日一日を大切に生きていきたいと思う今日この頃なのであった。

いかがでしたでしょうか?
珍しく、ですます調をやめて書いてみました笑
なんか心の中を整理できた感じで、ちょっとスッキリしました!

お読みいただきありがとうございました。

ではまた〜

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