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悪食(9) FF7二次創作小説

FF7エバークライシスのバハムート衣装に着想を得て書いた二次創作小説です。第一話のリンクはこちら。


第九話


僕は朝の研究所が好きだ。実験室は混み合っていないし、味方でも敵でもないという妙な立ち位置の同僚たちとあまり顔を合わせないで済む。

そう、研究員同士は同じ部署に所属しているというだけで、朝と深夜に機会があれば挨拶を交わす程度の関わりしかないのだ。挨拶が返ってこないことはしょっちゅうで、そういう冷たいあしらいに傷つく段階はとうに通り過ぎた。なにしろ、全員が全員に対してそんな態度なのだ。世間の人が研究者に抱く、「社交的でない変わり者」というイメージを見事に体現している。特に、僕のいる研究室はこの傾向が強い。他所はここまで極端じゃないけれど。

──と、僕は先輩のことを思い出した。明るく朗らかで、おせっかい焼き。先輩は誰に対しても親切で研究所内に友達も多い。本当に、いい人なんだ。

僕は昨日の自分の態度を思い出し、小さくため息をついた。実験のアイデアの出どころを訊くなんていうのは研究者としての普通の会話の範疇に入る事柄だ。でも僕は、独創性にケチをつけられたように感じてしまった。自分で描いたお気に入りの絵に一滴の泥水を落とされたみたいに。

自分の小さな成功に水を差されたと思った途端、抑えられない苛立ちが身体中を支配した。嵐のような怒りに翻弄された僕は、きっとひどい顔つきだったに違いない。口元や瞼がどんどん歪んでいくのを感じていたから。

昨日の自分の態度を先輩に謝りたくて、先ほどデスクに行ってみたが、今日から彼は出張で不在だった。走り書きのメモには「ミディール地方での調査」とあった。つまり一週間は帰れないということだ。帰ってきてから改めて話せばいい。1週間の猶予があると思うと、少しホッとした。


気持ちを切り替えて、今やるべきことをやろう。"Do yor best!" と書かれた誰かのマグカップがシンクに放置されているのを横目で見ながら、僕はティースプーンに山盛りのインスタントコーヒーで濃いめのコーヒーを淹れた。

自分の中に新しい力が宿っているような感じがした。もっと頑張ろう、そんな気力が湧いてくる。先輩は僕の体調が悪いのではないかと心配していたが、むしろ絶好調だ。

熱いコーヒーをすすりながら、メールの受信ボックスをチェックしていく。ほとんどが無名の学術誌からの論文投稿のお願いといったジャンクメールの類で、僕は中身も見ずにそれらをどんどんゴミ箱に放り込んでいった。単調な作業をさっさと終えると、僕は実験室に向かった。

「よし」と口の中で呟いて、僕は小さく笑みを浮かべた。
細胞たちの様子も順調だ。細胞培地にバハムートの血液を加えるというアイデアは間違っていない。この路線でさらにいくつかの条件を試そう。

僕はすっかり手に馴染んだサンプル輸送用の容器の取手を掴むと、軽い足取りでラボを飛び出した。


僕の顔を見るなり、飼育エリアのスタッフが煙草のやにの染みついた手をひらひらと振り、お決まりの軽口を叩く。
「よう、イキのいいのが入ってるぜ」
返答しようと口を開きかけた僕を制して彼は続けた。「…と言いたいところだが。悪いな、さっきちょうど売り切れちまった。朝から皆さんまったく熱心なこった」
「全然残ってませんか?」
「いつもなら何かしらあるんだがなあ。ついてなかったな」
食い下がる僕にきまり悪げに頭をかき、彼はそう言った。残念ではあったが、これはそもそも臓器サンプルの引き取りを事前に申請していなかった僕の落ち度だ。飛び込みでサンプルが手に入る時もあるのだが、ないものは仕方ない──

「しょうがないです。また今度来ます…」
「ちょっと待ちな、にいちゃん!」
しょぼくれた僕の背中を哀れに思ったのか、そのスタッフは大声で呼ばわると、懐から年季の入ったスケジュール帳を取り出した。パラパラと素早くめくり、彼は目を宙に泳がせて何かの算段をつけると、大きく頷いた。
「急ぎなんだろ?よし、繁殖個体の廃棄予定を一体繰り上げてやる」
「え、大丈夫なんですか…?」
「 なに。数日早まるだけだから」
「ありがとうございます!」
ぺこりと頭を下げた僕に、彼は鷹揚に頷いた。


彼の準備を待つ間、僕はあれこれ考えを巡らせていた。どの臓器をもらおうか?

肺なんかいいかもしれない。肺は血流が豊富で、空気中に含まれるライフストリームの入り口でもあるのだからバハムートの生物学的特徴がよく出ていそうだ。それとも腎臓、いや骨髄は外せない。造血系の細胞にトライしてみたい。

なにしろ今日は選び放題なのだ。しかもどれも新鮮な組織サンプルだ。こんな機会は滅多にない。僕は心が浮き立つのを感じた。


クリーム色の防水エプロンを着て再び姿を現した彼は、その右手に小型の電動のこぎりをぶら下げていた。電動のこぎりを構えた姿がやけに様になっていて、僕は彼のあだ名が「解体屋チョッパー」であることを思い出した。

チョッパーは相棒の具合を確かめるようにあちこち点検すると、手元のスイッチを入れた。モーターがうなりを上げて回転し、のこぎりの刃がぶうんという唸りをあげて何もない空を斬る。その音が耳に突き刺さり、僕は一瞬顔をしかめた。

チョッパーは、彼とその仲間たちの詰め所のさらに奥、いわば彼らの本当の仕事場へと僕を招き入れた。初めて入ったその部屋は、どこもかしこも清潔でこざっぱりとした研究所の中にあって異質というほかなかった。薄汚れたリノリウムの床の上に落ちている髪の毛らしき色褪せた毛の束は、研究所の廊下であれば5分もしないうちに清掃員が片付けているだろう。

部屋の中央には表面に傷の目立つステンレスの解剖台があり、天井のライトをぼんやりと反射している。床のあちこちにある排水口の、暗く見えない奥の方からごぼごぼという微かな音が聞こえていた。それに、部屋の隅には蓋の閉まりきらない巨大なポリバケツが1つ。バケツと蓋の隙間から、誰かがこちらを見ているような気分になり、僕は静かに喉を鳴らした。

「よし、行くか。長靴とマスクだけ着けてくれや。ああ、あと汚れるのが嫌ならその辺にあるエプロン使っていいぞ」
「はい」とチョッパーの言葉に答えて、僕は改めて部屋の中を見回した。
厚手のビニール製エプロンは、巨大なキャビネットの隣にずらりと並んでいた。壁のフックにかかったエプロンの中から比較的汚れの少ないものを選び、僕はそれを身につけた。エプロンにはムッとする臭いが染み付いている。似たような臭いは部屋の中にも薄く充満していた。適当に選んだ長靴はサイズが大きすぎて歩くたびにかぽかぽと音が鳴った。

「ほらこれもサービスだ」と、彼は小さな平べったい袋を僕に手渡すと、ニヤリと笑った。「おっと、コンドームじゃねえぞ」
「わかってますよ」
いちいち下品な冗談を言う──彼のこういうところが苦手だ。愛想笑いを浮かべてから受け取ったそれは、使い捨てのシャワーキャップだった。
彼はげらげらと笑う。
「一番臭いがつくのは髪の毛だからな」

彼がそう言ったちょうど時、部屋の隅で大型の滅菌器がしゅうしゅうと蒸気を吐き出し、あたりに強い臭いが漂った。肉をぐつぐつ煮込んだような臭いだ──その正体に気がついて、僕はげんなりした気分になった。

実験動物の死体は、滅菌器で高温高圧処理にかけ、それから焼却炉で燃やされる。人工繁殖させた生物やその遺伝子が万が一にも生態系を汚染しないようにと定められたルールだ。それはわかっているが──僕は鼻の頭に皺を寄せた。
「結構……強烈ですね。この臭い」
「まあな。そのうち慣れる」
シャワーキャップを被ると、僕は入念に髪の毛をその中に仕舞い込んだ。

準備のできた僕に一つ頷くと、「ちょっと待ってろ」と言い残し、チョッパーは解剖台のキャスターの留め具を外した。彼は解剖台を引っ張りながら、隣の部屋へと続く両開きのドアを開けた。

ドアが閉じるまでのほんの短い間、中の様子が少しでも見えないかと首を伸ばして、僕は向こう側に目を凝らした。

あ──。チラリと見えた光景に……息が、詰まった。

ずらりと並んだカプセル型培養器、その中で魔晄に浸されてゆらゆらと蠢く人の影、影、影……

いや、違う。あれは人間じゃない。実験用にここで飼育されている動物なんだ──頭ではそう理解していても、胸のむかつきは強くなっていくばかりだった。新しい実験に向けて膨らんでいた期待に、戸惑いとかすかな嫌悪が混じっていく。

滑りの悪いキャスターが床に擦れて立てる耳障りな音が徐々に遠くなる。

再び滅菌器が蒸気を吐き出す。閉じたドアの向こうでは今、何が起きているのだろう。僕はぎゅっと目を瞑り、両手で耳を押さえた。悲鳴だけは聞こえてきませんようにと祈りながら。

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