悪食(10) FF7二次創作小説
FF7エバークライシスのバハムート衣装に着想を得て書いた二次創作小説です。第一話のリンクはこちら。
第十話 ※グロテスクな表現があります
大小のハサミに巨大なのこぎり、火かき棒のような器具にピンセット、鑿にハンマー。
向こうの部屋から戻ってきた解体屋は、鼻歌まじりにそれらを手際よく並べていった。鈍い銀色に光るステンレスの台に新たな器具が置かれるたびに、かちり、かちりと音が鳴った。一定のリズムを刻むそれは時計の秒針のようだった。
僕の目の前の解剖台には、死にたてほやほやのバハムートが一体。居眠りでもしているかのように、横向きに寝かされている。ただしその頭部は不織布の袋が被せられているため、居眠りというよりはもっと不穏な情景を連想させた。
魔晄に満たされた培養器から出されたばかりのバハムートの体はまだ濡れている。つるりとした体表を伝って、緑がかった雫が台の上にぽたりと落ちた。魔晄が気化する時に発する独特の匂いがした。
ちらちらと頭部の袋に視線を送る僕に向かって、「あれが気になるか?」と顎をしゃくってチョッパーが訊いた。僕は曖昧に頷く。
「落ち着かねえんだよ。馬鹿みてえだとわかっちゃいるがな。見られていると掻っ捌きにくい。それだけだ」
面白くなさそうな顔でそう言って、彼は細々とした道具を並べる作業に戻った。
チョッパーはまず、解剖の邪魔にならないようにと、片方きりの翼を結束バンドで束ねて小さく纏めた。次に、大ぶりなハサミをバハムートの尾の付け根にあてがうと、力を込めて柄を握った。ばぎんという硬い音が狭い部屋の中に響いた。
「尾を切るにはこれが一番。育ちすぎた薔薇の枝も一発だぜ」
切断された尾は解剖台から滑り落ち、床に置かれたステンレスの滅菌缶──膝を抱えれば大人が中に入れるくらいの巨大なやつだ──の中に着地した。
チョッパーがバハムートをごろりと転がし、仰向けにすると、踵についた蹴爪がステンレスの解剖台を引っ掻く甲高い音がした。
ちょうどバハムートの蹴爪が当たる辺り、解剖台の表面には鋭い引っ掻き傷が何本も何本も走っていた。
あの日教授の部屋で見た、ティファの孵化の瞬間の映像が僕の脳裏に浮かんだ。極限まで大きくなった巨大な卵がぐにぐにと形を変えて蠢いていたかと思うと、卵殻を内側から貫いて、黒いナイフのような蹴爪が現れた。蹴爪が水平に動き、分厚い卵殻に一文字の傷を刻んだ。その傷口から、羊膜を纏って姿を現したのがティファだった。
僕はもう一度解剖台の表面に走る無数の傷を見た。その傷が意味するところは、この台の上を数多のバハムートが通り過ぎていったということだ。蹴爪という、バハムートがその生の始まりでの闘争に使う武器が、この世界に最後の爪痕を残しているのだ。そう思うと、僕の胸の奥を鈍い痛みが叩いた。
頭部に被せられた袋のおかげで死体の顔は見えない。そのことは僕を密かに安堵させた。
チョッパーは台の上のバハムートの体をあちこちの角度から検分した。
「まずは解体に邪魔な装甲板を取っ払う。ここを丁寧にやらねえとうまくバラせない」
ボソリと呟き、チョッパーは電動のこぎりのスイッチを入れた。のこぎりの刃が回転する音に混じって、硬い装甲板を削り切る、きいんという高音が時折響いた。バハムートの装甲板は骨格が変化したものだ。関節の部分にうまくアプローチしないと、切断するのは文字通り骨が折れる作業なのだ。解剖台の周りを移動しながら、肩、腰とチョッパーは回転するのこぎりの刃を手早く食い込ませていった。
「それから腹」
チョッパーは体側に沿って体表の何箇所かに電動のこぎりで浅く切り込みを入れると、得物をナイフに持ち替えた。慎重に角度を見極めながらナイフを体の内部に差し入れ、横隔膜の下からスタートして時計回りにぐるりと円を描くように軟骨と筋肉を切断していく。淀みなく、容赦無く。大きな血管を避けているのだろう。出血はほとんどない。
ナイフを一周させると、チョッパーはバハムートの脇腹に、ゴム手袋を二重にはめた左手を突っ込んだ。彼がグッと力を込めると、めりめりという音と共に、腹部を覆う一番大きい装甲板である腹甲が残りの体から引き剥がされていく。それと同時に彼は右手に持ったハサミで腹甲に付着する腱を手際よく切っていった。
取り外された腹甲が滅菌缶のなかに放り込まれ、ごとんという鈍い音をさせた。
「開いたぞ」というチョッパーの言葉に、僕は中を覗き込んだ。
ぐらり、と地面が揺れたような気がした──また魔晄の匂いだ。体表に残っていたのと違って、こっちの匂いはもっと生臭い。
開いた腹の中で、紫色の光がチラチラと瞬いていた。毛細血管の断面からの微量の出血が、バハムート特有の紫色の血をわずかに滲ませているのだ。血が空気に触れるたびに、その中に含まれるライフストリームがパッと光を放って消えていく。星に還るために。
バハムートの狭い腹の中は、卵でいっぱいだった。緑色の大きい卵、白っぽい小さい卵……。卵に押し退けられた腸管たちが窮屈そうに隅の方に追いやられている。
本来ならば、十分に発育が進んだ卵がたった一つだけ、ライフストリームを豊富に含む水場に産み落とされる。腹の中に残された卵はやがて母体に吸収される。外界に送り出された卵の中で長い時間をかけて中の胎仔は育っていき、うまくいけば、”母親”とそっくりの子どもが産まれる。そっくりなのは当然だ。母親と子は同一の遺伝的バックグラウンドを持つ──いわゆるクローンのようなものだからだ。高い身体能力を持つ彼らは、進化の過程でたどり着いた”最適解”をそのまま子孫に受け継いでいく、無性生殖を繁殖手法のメインオプションにしている。それに加えて何百年というスパンで変化していく環境に対応するために、遺伝的ヴァリエーションを増やすサブオプションである有性生殖も行うのだ。
無性生殖と有性生殖を使い分けるという生存戦略は、バハムートだけの特徴ではない。蟻や蜂、それにキノコをはじめとする菌類が同じ戦略を採用している。それもあって、バハムートは人間よりもむしろ蟻やキノコ──要は下等な生き物に近いと揶揄される所以となっている。
どれほど人間に近い見た目をしていても、彼らは人とは全く異なる生物なのだ。腹の中いっぱいの卵の群れは、そのことを無言で証明していた。
チョッパーは中程度以上に育った白い卵をいくつか選び取ると、培養液の入った容器の中にそれらを回収していった。
「卵を魔晄に漬けときゃまたデカくなるんだ。ま、何匹かはダメになっちまうがな」
その表情と声音には蔑みと嫌悪感が透けていた。僕の耳に、電話越しの母の声が蘇る──人間のまがい物、モンスター、気持ち悪い──。
「あー、これはもうダメだな」
そうぼやきながら、チョッパーは一つの卵を摘み上げた。一番緑色の濃い、一際大きいその卵をライトの光にかざすと、中にぼんやりとした黒い塊があるのが見えた。おたまじゃくしみたいな大きな頭部にひょろりと長い体──あらゆる他の生き物とよく似た、発生初期の胎仔のシルエットだ。
「ホルモン剤と一緒にものすごい濃度の魔晄につけてるからな。たまに中途半端に腹ん中で育っちまうんだ。ああいうのは培養器に移してもダメでね」
チョッパーは僕に向かって軽く肩をすくめると、手に持った卵を滅菌缶の中に狙いをつけて投げ入れた。ナイスシュート。水風船が弾けたみたいな、くぐもった音が缶の中に響いた。
その音は水面に石を投げ込んだ時のように、僕の心をざわざわと波立たせた。
何か言わなければいけないと僕は感じたが、何かって一体なんだ?抗議か?懺悔か?それとも祈りか?
僕はチラリと頭の方に目をやった。袋の下にある顔が気になって仕方なかった。この死体はティファではない。それは確かだ。
でも──ティファと、ティファではないバハムートを分けるもの……それは一体なんだ?一方を慈しみ、もう一方はちょっとした好奇心のためにあっさりと命を奪う。そのどうしようもないギャップを生み出しているのは……科学の発展という大義名分を隠れ蓑にした人間のエゴだ。
だが、そうやって僕たちが選別することは正しいことなのか?命を選ぶ権利はあるのか……?
僕の頭の中に、昨日の夕空に向かってたなびく一筋の煙が浮かび上がった。研究所の片隅の焼却炉では、毎日毎日バハムートの死体を燃やしているのだ。あの煙が一体何を燃やして生じたものか今の今まで考えもしなかったことに気づいて、僕は静かに動揺した。
煙が向かっていく先は天国だ。第七天──そこに至るまでの道はどうしようもなく血に汚れていた。
血は、紫色をしていた。